結果発表
2019/03/05 10:00

第22回 文化庁メディア芸術祭

応募作品数:4384点(アート部門:2501点/エンターテインメント部門:547点/アニメーション部門:458点/マンガ部門:878点)
受賞作品数:32点(アート部門:8点/エンターテインメント部門:8点/アニメーション部門:8点/マンガ部門:8点)
主催:文化庁メディア芸術祭実行委員会
※ここでは、大賞・優秀賞をご紹介します

アート部門

大賞

Pulses/Grains/Phase/Moiré
古舘 健
Pulses/Grains/Phase/Moiré© Kouji Nishikawa
作品コメント(一部抜粋)
300台を越えるスピーカーとLEDライトを使用した、大規模なサウンドインスタレーション。2018年1月から3月にかけて開催された「AOMORIトリエンナーレ2017」のプログラムの一つとして、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸で初めて発表された。コンピュータで制御される自作のジェネレーターに接続されたスピーカーがそれぞれ個別のパターンで音を発生する。また、各スピーカーに付随するLEDライトも、スピーカーの発音パターンに合わせて同じタイミングで明滅する。各個のスピーカーは一定の規則にしたがった単純なクリック音とLEDの発光しか行わないが、それらが鑑賞者を囲うように壁面一体に設置され、音と光が重層的に合わさることで、複雑なレイヤーが存在する新たな音響環境を形成する。
審査コメント(池上高志)(一部抜粋)
大量のスピーカーとLEDを壁一面に碁盤の目のように配置し、絶え間なく明滅する光のパターンとスイッチのような機械的サウンドが持続的に同期し、漆黒の巨大な空間を充満させている。現在は詳細で大量なデータがつくり出す過剰性に世界が翻弄されている時代である。その人の知覚を超える過剰性が2010年以降のデジタル世界を象徴するものとすれば、本作品はそれをアナログ的に現実世界に再構築した作品とみなすことができる。作者は大量のミニ・スピーカーとLEDを地道に配線しマイコンで制御することで、この巨大なシステムに生命性をインストールした。ぶっきらぼうに生成される音と光の空間は、周期的なパターンとアナログ的なゆらぎによって自己組織化し、あたかもひとつの有機的な建築物の中にいるような体験をすることができる。

優秀賞

Culturing cut
岩崎秀雄
Culturing <Paper>cut© Hideo Iwasaki
作品コメント(一部抜粋)
客観的と思われがちな生物学の論文が、実際には「驚くべきことに」「面白いことに」といった主観的な表現に満ちていることに端を発した、バクテリアを使用した作品。始めに、作者自ら池などに発生するシアノバクテリア(光合成をする微生物)の性質を調べ、論文を書き、その論文中の主観的な記述部分を切り取る。図表部分はできるだけ生かすように切り進め、その後、切り絵の要領で有機的かつ抽象的な造形を切り刻む。そして、研究対象としたバクテリアを「主観的記述が切り取られた部分」に植え付ける。バクテリアは、論文の空白部分をゆっくり運動しながら増殖していく。主体的記述を削除したバクテリアについてのテキスト、科学的表象としての図、切り絵部分の有機的な造形、そしてテキストが扱っているバクテリアの運動の軌跡とが絡み合い、独特の模様が形成されていく。
審査コメント(森山朋絵)(一部抜粋)
どの領域に軸足のある研究者も、自らの研究対象について言及・記述する際には細心の注意を払う。例えば美学・美術史を学ぶ者にとって「美」の記述は非常に注意深く行われるべきものであって、不用意かつ主観的に「美しい」などと論文につづることのなきよう、「第三者によって再現可能であることに基づく理系・工学系論文を参照せよ」と厳しく指導された自分の学生時代を思い起こさせられる。ところが、そのニュートラルな記述の拠り所である論文(本作品では「生物学」領域)が、情動的な主観的表現に満ちていたとしたら……。作者は、論文における客観性やディスクリプションの問題・つまずきをバイオアートや工芸的な切り紙の造形によって解体・再構築・可視化していく。
datum
平川紀道
datum
作品コメント(一部抜粋)
空間、色、時間という異なる概念を、それらが統一された高次元空間において対称的に扱うことで、これまでにない映像表現を実現した作品。映像データの各画素を、空間を表すXとY、色の混合要素R、G、B、フレーム数にあたる時間Tの、六つの数値を空間座標として持つ点として捉えると、映像中の全画素を6次元空間に浮かぶ点の集合と考えられる。これに任意の回転を加えると、色の階調、曲線、それらの時間変化が、互いに変換され、渾然一体となるが、点同士の関係は回転によっては破壊されず、回転角0度では元の映像に戻る。
審査コメント(秋庭史典)
他者、とりわけ最先端の数学者や物理学者たちとの対話を通じて磨かれた独自かつ普遍性のある発想、その発想を実現する確かな技術、さらにそうした技術を意識する暇を見る者に与えないほどの圧倒的な表現。しかも、それらすべてにおいてきわめて高い水準にあるにもかかわらず、今後のさらなる可能性をも感じさせる作品であること。それが優秀賞の理由である。人間的なそれとは別の「次元」の導入によりもたらされる動的な像に、我々が驚きや美を感じるとしたら、そこにある「美的なもの」とは何であるのか? またその美は、自然や宇宙、そして(地球内外の)生命とその進化に、どのように結びついているのか? 本作は、そうした問いに我々の目を開かせてくれる。その意味で本作は、真正の芸術作品なのである。
discrete figures
真鍋大度、石橋 素、MIKIKO、ELEVENPLAY
discrete figures© Rhizomatiks、ELEVENPLAY
作品コメント(一部抜粋)
数学的・集合知的な方法を通して身体表現をつくり出すダンスパフォーマンス。AIと機械学習によって身体像や動きを捉え直し、その数値データと分析結果をコレオグラフィに反映させた。具体的には、舞台映像や映画から収集したポーズデータとダンサーのポーズデータとの近傍探索システムを開発し、ダンサーがとったポーズと最も近しいポーズを持つ映像素材をステージ上に置かれた長方形のフレーム内に投影する。当日、会場ロビーで撮影した来場者の解析データとダンサーのモーションデータを用いて観客をダンサーとしてスクリーンに登場させる、などである。マイクロドローンやフレームといったステージ上の複数のオブジェクトは、さまざまなルール、アルゴリズムの下でダンサーの動きにリアルタイムで対応し、新たな身体表現が演出された。
審査コメント(池上)(一部抜粋)
何百年も続くダンスの世界で新しい表現が生まれるかもしれない。その鍵を握るのはディープニューラルネットワーク(DNN)といわれる新しい技術の出現だ。DNNは多層な人工の神経細胞システムである。そこにさまざまなアルゴリズムを追加することで、これまでなかった精度での画像認識や生成が可能となった。本作品はこのDNNの威力をいかんなく発揮させ、人間にはできなかった新しいダンス表現を志向している。ELEVENPLAYは女性によるダンスユニットである。しかし彼女たちがダンスをする相手は、目の前にいる生身の人間ではない。DNNによって事前に一般の人の動きから学習されて生成された、「仮想のダンサー」である。たぶんこれは現存するテクノロジーで生成できる最も進んだ仮想のダンサーであろう。
Lasermice
菅野 創
Lasermice© 2018 So Kanno
作品コメント
ホタルなどの群生する生物に見られる同期現象に着想を得た60台の自走する小型ロボットを用いて、有機的にリズムを生成するインスタレーション。群生生物は、各個体が互いにコミュニケーションすることで一斉に行動する。生物の場合、そのコミュニケーションは不可視だが、本作ではレーザー光によってコミュニケーションをするため、そのネットワークは視覚的である。ロボットは互いの発するレーザー光に呼応して、レーザー光と同時に打撃音を発する。鑑賞者は常に変化するそのリズムを、音と光によって空間的に認識できる。私たちは蛙の合唱や鈴虫の鳴く声、群れで舞う鳥の大群といった自然の営みを美しいと感じ、鑑賞する。鑑賞に値する自然のようなものを人工的につくれないだろうか。このプロジェクトは自然現象のアルゴリズムに着想を得て、かつ単なる模倣ではないオリジナルのアルゴリズムをつくることによって新たな表現を模索する試みである。
審査コメント(阿部一直)(一部抜粋)
シンプルな組織と自律性、一定のループ性を持ったロボティクスが相互感知することで、群として独自の振る舞いをなす作品である。同期から出発して徐々に外れながらさらなる同期を生み出す過程を可視化しており、約50平米のエリアに総数60の小型のロボティクスが、回転しながらゆっくり自走する。それらは一定タイミングでレーザー光を発し、それと同時に機械の打鍵によって発音する。光感知センサーによる反応時に次の発光/発音を起こすが、連鎖反応により驚くような変化や沈黙のダイナミズムが生まれるさまは壮観である。人工生命プログラムによる群シミュレーションは以前から検証されているが、物体による生成の生々しさを基調に据えた表現性は端倪できぬもので、各機械パーツのセレクトからロボット製作、システム設計に至るまで、作家の緻密かつ持続的な研究力なしには到達できないレベルを示している。
エンターテインメント部門

大賞

チコちゃんに叱られる!
「チコちゃんに叱られる!」制作チーム
チコちゃんに叱られる!© NHK(Japan Broadcasting Corporation) All rights reserved.
作品コメント(一部抜粋)
何でも知っている5歳の女の子という設定のキャラクター「チコちゃん」が、素朴な疑問を明らかにしていく番組。「お別れするとき、手を振るのはなぜ?」「乾杯のときのグラスをカチン、なぜするの?」といった日常のなかで生まれる疑問を、スタジオでお笑い芸人の岡村隆史やゲストに投げかけながら、専門家のインタビュー映像によって回答していく。チコちゃんの着ぐるみは複数台のカメラで撮影されたうえで、放映時に頭部を3DCGのモデルに置き換える処理が行われている。置き換えられる頭部パーツは着ぐるみの頭部を精緻に3Dスキャンしたものであり、本当に着ぐるみの顔のパーツが動いているかのような表現を、目や口の形を自在に変えることで実現している。
審査コメント(遠藤雅伸)(一部抜粋)
好奇心旺盛で何でも知っている5歳の女の子、東京・白金在住なのに時々関西弁になるチコちゃんが、何気ない疑問を投げかけるNHKのバラエティ番組。クイズ形式だが正解を競うのではなく、諸説あるなかから最初はポカーンだが説明を聞けばフーンと納得できる話題を提供する。テレビという媒体でも、こんなつくり方で新しいエンターテインメントを表現できるという、荒唐無稽だが日本人の感性にマッチした挑戦的作品である。その中核となるのが、2.5頭身の着ぐるみ頭部を3DCGで置き換えたキャラクターで、昭和なおかっぱ頭とレトロ感のあるセットは、CG合成であることを意識させない。しかし決め台詞の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」で見せる異形への変化が、日本でしか生まれないだろう強いアクセントになっている。

優秀賞

歌舞伎町 探偵セブン
「歌舞伎町 探偵セブン」制作チーム(代表:加藤隆生、西澤 匠、平井真貴、堀田 延、岩元辰郎)
歌舞伎町 探偵セブン© SCRAP
作品コメント
新宿・歌舞伎町の町全体を使った体験型ゲームイベント。セブン探偵事務所の7人目の探偵になるため、元ヤクザ、不敗のギャンブラー、金庫破りなど曲者揃いの探偵たちとともに、事件の解決を目指す。プレイヤーは受付で指示の書かれたゲームキットをもらったあと、実際の歌舞伎町の店舗に訪問して登場人物役のキャストに聞き込みをしたり、事件解決の糸口になるアイテムをもらったりしながら、謎を推理していく。加えて、動画の視聴やSNSアプリ「LINE」での登場人物とのやりとりなど、デジタルツールも駆使していく。事件は計六つで、すべての事件をクリアすると“最後の事件”をプレイすることができる。数々のリアル脱出ゲームを手掛けるSCRAPが積み重ねてきたリアルライブゲームの深化に加え、新宿の町の文脈の変化を捉えた展開も、プレイヤーが本物の探偵になったかのような気分にさせるのに一役買っている。
審査コメント(川田十夢)(一部抜粋)
探偵という職業をモチーフにした小説、映画、ゲームは膨大に存在する。この作品がほかと大きく異なるのは、自分自身が登場人物として物語に介入できる点である。歌舞伎町に実在するバッティングセンターやスナックなどを舞台装置として機能させる大胆な設定、それを具体化するうえでの細やかな演出が秀逸。作品として評価に値すると感じた。この新しい遊びのプレイ感覚は、読書とも観劇とも、ゲームともリアル脱出ゲームとも異なる。今後の展開次第では、さまざまな職業に内在する個人的な体験を、実在する町やシチュエーションとともに物語として提供していけることになる。カジュアルな職業体験ができる装置の代表としてカラオケがある。この遊びを水平展開していけば、やがて探偵以外の職業にも光を当てることになる。
LINNÉ LENS
LINNÉ LENS制作チーム(代表:杉本謙一)
LINNÉ LENS
作品コメント(一部抜粋)
スマートフォンをかざすだけで、約1万種の生き物の名前が瞬時にわかるAI図鑑アプリで、近代分類学の父、カール・フォン・リンネの名前にちなんで名付けられた。スマートフォンのカメラをかざすと生き物の名前が瞬時に表示され、生き物のイメージをタップすると、イラスト入りの解説が表示される。スキャンが成功したときの認識精度は平均90%前後で、対象となる生き物が動いている場合や複数の種類が写り込んでいる場合にも、瞬時にそれぞれの生物名が表示される。日本の水族館と動物園の生き物の9割に対応しており、系統樹から見つけた生き物たちのつながりを閲覧したり、ユーザーが撮影した写真と解説を合わせて世界にひとつだけの図鑑をつくることもできる。また、画像認識はスマートフォン上でリアルタイムに処理されるため、海中や山奥といった携帯電波の届かない状況でも利用可能。
審査コメント(川田)
人工知能や画像認識といった最先端技術のことを忘れてエンターテインメントとして楽しめるほど、このアプリの性能は確かなものであった。世界初のAI図鑑という触れ込みも、まったく誇大ではない。むしろ、謙遜しているように感じる。現時点で、日本の水族館にいる9割の生物を認識し、その数は今後も増えていくという。実際に水族館で利用してみると、そのスムーズなトラッキングにも驚く。まるで、海洋学者の目をダウンロードしたかのような体験。専門家が積み上げてきた経験、そして養ってきた眼が2秒で手に入る。やがて料理人の舌や音楽家の耳、そして彫刻家の指先に至るまでダウンロードできるようになるだろう。まさに次の時代のエンターテインメントの幕開けを感じる。かざすたびに、図鑑が完成してゆくユーザー体験も、よく考えられている。やがて教養と娯楽の架け橋になるであろう、重要な作品である。
Perfume×Technology presents “Reframe”
Perfume+Reframe制作チーム(代表:MIKIKO)、真鍋大度、石橋 素
Perfume×Technology presents “Reframe”© Amuse, Inc.、UNIVERSAL MUSIC LLC、Nippon Hoso Kyokai(NHK)、NHK Enterprises, Inc.、ELEVENPLAY、Rhizomatiks
作品コメント(一部抜粋)
真鍋大度と石橋 素らの制作チームが、インタラクションデザイン、技術開発、映像制作を担当した、テクノポップグループPerfumeのライブ公演。タイトルの「Reframe」が示すように、本公演はこれまで技術の進歩とともにアップデートを続けてきたパフォーマンスを再構築することがテーマとなっている。メンバーの影の大きさや形をさまざまに変化させて演出した「FUSION」、ファンが撮影した写真をデータ解析してミュージックビデオとマッチングさせた「願い」、ドローンとAR(拡張現実)技術によってステージ上で複雑な奥行きを持つ映像演出を実現した「無限未来」など、Perfumeのこれまでの活動で培った身体表現、記憶、技術を結集しつつ、新たな表現へと繋げている。
審査コメント(佐藤直樹)(一部抜粋)
さまざまな価値軸が錯綜するエンターテインメント部門では、審査委員ごとに評価が大きく分かれる場合が多い。そんななかにあって、2018年を象徴するメディア芸術として、この作品に対する評価は安定していた。「Reframe(再構築)」のタイトルどおり、デビュー時からのPerfumeイメージを総動員しつつ、それ自体の「現在性」を見事に成立させていた。永遠を希求するアートと比してエンターテインメントは古くなることを厭わず新しさを追求するが、その関係はサイエンスとテクノロジーの対比にも重なる。この舞台は非常に明解に、エンターテインメントとテクノロジーの先端部分を直結してみせた。その手法の見事さの一方で、舞台芸術の設定としては既存の枠組みをしっかり踏襲していたが、この作品にとってその点はむしろ重要な要素であると思えた。
TikTok
「TikTok」Japanチーム
TikTok
作品コメント(一部抜粋)
BGMや音声に合わせて15秒の動画を撮影・編集し、共有できるビデオソーシャルプラットフォーム。動画の撮影から、編集、投稿までがひとつのアプリケーション内で完結できる。さまざまなBGMに加えて、「お笑い系」音声等が実装され、ユーザーはそれぞれの音声に合わせ、ユーザーの身ひとつで見栄えのする動画が簡単に投稿できる工夫がされている。その手軽さから10代を中心に人気が広がり、TikToker(ティックトッカー)と呼ばれるインフルエンサーも出現している。また、一般ユーザー以外にも、著名人やアーティストの公式アカウント、企業とのコラボ企画が多数ある。音楽に合わせてダンスをする、リップシンク(口パク)をするといった人気の動画を模倣する投稿が現在の主流となっており、ユーザーはエフェクトやカメラワークでオリジナリティを出す。
審査コメント(齋藤精一)(一部抜粋)
ブログなどの文字と写真によるメディアは世界に浸透するまで数カ月かかる時代から、TwitterやFacebookでの情報は24時間以内に世界に浸透する時代へと進化した数年前。Instagramの登場によってそれはひとつの様式となり、「インスタ映え」という言葉までできた。動画メディアはあまり浸透しないと業界で言われてきたものの、「TikTok」の出現はソーシャルネットワークの多様性の時代を象徴し、ユーザーが選べる時代を確実につくった。動画の編集は簡単ではないが、考え抜かれたインターフェイスを通してさまざまな文化、言語圏に広がるユーザーそれぞれが、それぞれの価値観をもとにエンタメ性・独自性・創造性をもって表現できるツール=道具となったことは大きな進歩だと思う。
アニメーション部門

大賞

La Chute
Boris LABBÉ(フランス)
La Chute© Sacrebleu Productions
作品コメント(一部抜粋)
ダンテ・アリギエーリの「神曲地獄篇」に着想を得た短編アニメーション。墨汁と水彩絵具による約3500枚の絵をデジタル編集し、そこに弦楽奏の断片的な響きと電子音によるオリジナルの音楽が重ねられる。シーンは前半の地上と天上、そして後半の地獄界とに大きく分かれる。種のようなものがあり、そこから根が伸びることで形づくられる地上では、植物と人間が互いの姿に変容しながら命が循環している。その上空では、鳥のようでもあり人のようでもある姿をした天の住人が渦を描いて舞っている。墨絵の白と黒を反転させることで独特の暗さを持つ画面のなか、植物、人、天の住人の中心部では鮮やかな色が躍動し、生命力が表現される。やがて地上には、楽器のような道具や建物が現れる。中盤、天の住人が舞い降りて地上の住人と交わると巨人が誕生した。
審査コメント(森野和馬)(一部抜粋)
究極の眺める作品であり、感じる作品である。重く、暗く、淡々と描かれる世界は平静を保ちながら見ることを拒むかのようで胸が騒ぐような感情を常に抱かせる。執拗に続く反復表現、動きあるパーツたちはパズルを組み合わせるかのごとくさまざまな空間に配置され、浮遊するような視点をもって全貌を見ることができる。全篇に流れるサウンドは映像と同様にミニマムかつシンプルな組み合わせで独特の世界を生み出すことに成功し、映像と混じりあうことで妖しい世界をさらに助長させている。作者の類まれなるセンスを感じる表現は、誰もが到達できるレベルではなく、観念せざるを得ないような境地を抱かせ、アート作品としての力強さと存在感を感じる。個々の小さな個性が集まり集合体の個性を生み出すさまは、現実の人のあり方をも連想させる。

優秀賞

大人のためのグリム童話 手をなくした少女
セバスチャン・ローデンバック(フランス)
大人のためのグリム童話 手をなくした少女© Les Films Sauvage
作品コメント
19世紀初頭にグリム兄弟によって編纂されたドイツの民話集「グリム童話」に初版から収録されている「手なしむすめ」を、新たに長編アニメーションとしてよみがえらせた作品。ヒロインの少女は悪魔の企みで両腕を奪われ、数奇な運命に翻弄されながらも、不思議な精霊の力に守られて、自分だけの幸せを見出していく。王子との結婚の先に少女を待ち受ける展開は、原作とは異なるラストを迎える。セバスチャン・ローデンバックは長編でありながらすべての作画をたった一人で手掛け、ヒロインの生命力にあふれたしなやかな生き方を、現代的な視点で描いた。本作で特徴的な作画技法「クリプトキノグラフィー」は、筆を使って、絵コンテもないまま即興ですばやく描いていく手法。線そのものが命を持ち、呼吸するかのような美しい映像は新鮮な驚きを観客に与える。
審査コメント(西久保瑞穂)(一部抜粋)
とても新鮮な表現で、アニメーションとは何だったのかを考えさせられる作品だ。封建的な従順さを受け入れ手を失った少女が、離散、出会い、結婚、出産、逃亡などを経て、親子で自立し新天地へ旅立つ過程がエモーショナルな映像で語られる。簡略化された映像が2年前の優秀賞作品「父を探して」を思い出させる。意識的に抽象化した完成度の高い「父を探して」に対し、本作は未完の荒々しさが醸し出す情感に心打たれる。監督一人で長編映画をつくる過程で編み出された手法が、動画として絵を描くことであった。日本のアニメーションは1秒を8コマの絵の動きで表現するという省略法を生み出したが、本作は1コマでは部分を描き、動画として繋がったときにその絵が現れるという手法をとっている。この荒く不安定な動画は主人公の感情を揺らす表現ともなっている。
ひそねとまそたん
樋口真嗣
ひそねとまそたん© 2018 BONES、Shinji HIGUCHI、Mari OKADA、DRAGON PILOT
作品コメント(一部抜粋)
航空自衛隊の岐阜基地に配属された、新人自衛官の甘粕ひそねと、戦闘機に擬態するドラゴンのまそたん。国家的な一大神事「マツリゴト」に向けて、ひそねたちが個性豊かな隊員とともに厳しい訓練に励む様子が描かれる全12話のテレビアニメーション。嘘がつけないあまり人を傷つけてしまうことを気にしているひそねと、素直で真面目な性格だが、人見知りをするまそたんの交流がハートフルに展開されていく。「シン・ゴジラ」で監督を務めた樋口真嗣、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の脚本を手掛けた岡田麿里と制作チームがタッグを組んだ。
審査コメント(木船徳光)(一部抜粋)
マンガやゲーム原作のない完全オリジナル作品。主人公の一癖ある性格設定と地味な印象を与えるキャラクターデザインのバランスがよく、物語のアニメーションらしい飛躍した設定とリアリティを目指した自衛隊の描写のブレンド具合がよかった。飛行シーンの描写もリアルとファンタジーの切り替えが、仮想現実と内臓のそれも含めて成功していた。毎回次の話数が見たくなるひきのあるシリーズ構成や、テレビ放送という現実との関わり方もシリーズならではのものになっていた。テレビシリーズを最初から最後まである一定のレベルで完成させているアニメ作品を見ると、それだけで感心してしまう。
ペンギン・ハイウェイ
石田祐康
ペンギン・ハイウェイ© 2018 Tomihiko Morimi、KADOKAWA、Penguin Highway Production Committee
作品コメント(一部抜粋)
森見登美彦の同名小説の映画化作品。身の回りの出来事を研究することが日課の小学4年生のアオヤマ君は、歯科医院のお姉さんに強い興味を持っている。ある日、アオヤマ君の住む街に大量のペンギンが現れ、さらにアオヤマ君はお姉さんの投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。一方でクラスメイトのハマモトさんは森の奥にある草原で謎の球体“海”を発見、アオヤマ君はその研究も開始した。お姉さんの体調の悪化、ペンギンを捕食する存在など、次々と起こる出来事を、アオヤマ君の研究は繋ぎ合わせていく。監督の石田祐康は、第14回文化庁メディア芸術祭でアニメーション部門優秀賞を受賞した「フミコの告白」(2009)をはじめ、学生時代より自主制作のアニメーション作品を発表してきた。
審査コメント(宇田鋼之介)(一部抜粋)
今回の応募作品は女性が元気な作品が多く見られ、この「ペンギン・ハイウェイ」もそのひとつでした。まず物語のモチーフとして、おっぱいとともに存在感を示す「お姉さん」。主人公のアオヤマくんを女の子にしたような「ハマモトさん」も思春期手前の男の子を彩る重要なキャラとして立っていました。キャラデザインや性格付けに多少ステレオタイプな感もあったが、登場人物たちが織りなすやり取りは小気味良く、このSFジュブナイルをイイ感じにキラキラさせてくれています。小難しい理論武装もすっ飛ばしているので、すんなりと映画のなかに入り込むことができる。メインテーマに関わる部分は無理に押し付けず観客に委ね、ペンギン達を生き生きと描くことに特化していた点を個人的に評価しました。爽快感を持って映画館を出ることができる作品だと思います。
若おかみは小学生!
高坂希太郎
若おかみは小学生!© Hiroko Reijo、Asami、KODANSHA、WAKAOKAMI Project
作品コメント(一部抜粋)
人気児童文学シリーズ、令丈ヒロ子「若おかみは小学生!」が原作の劇場アニメーション作品。交通事故で両親を亡くした小学生の「おっこ」こと関織子は、祖母が経営する旅館・春の屋に引き取られ、さらに若おかみに名乗りをあげてしまう。初めての仕事に戸惑いつつも、幽霊となった祖母の幼馴染の男の子・ウリ坊や、ライバル旅館の娘である秋野真月など、身の回りの人々や個性豊かな宿泊客と交流し、若おかみとしての自覚を深めていく。作品は原作のエピソードにオリジナルの要素も追加し、ひと塊の物語としてまとめあげた。SNSでの口コミを中心に、原作の読者層である児童の枠を超えて成人層からの評価も高まり、上映館の拡大や再上映が行われたことも話題に。
審査コメント(横田正夫)(一部抜粋)
小学生の女の子が行う家の手伝いはありふれたことであろうが、宿を切り盛りする女将が小学生である設定には飛躍がある。しかしその飛躍が、女の子の誠実さや熱心さによって補われ、大人たちも、うまく連携を保つところが心地よい。一人の女の子が突出して出来事を解決するのではなく、大人たちも一緒になって協力する人間関係が、小学生の成し遂げる仕事に生かされる。その大人との連携は、いくつかの段階を経て成し遂げられる。そもそも女の子は、両親を交通事故で失い、一人生き残ったことの心の傷を抱える。その傷を補うように複数の幽霊が見える。幽霊たちは、決して怖い存在ではなく、女の子の心の傷に寄り添い、失われた関係を補う役割を担う。幽霊を媒介しにして、現実の人間関係が豊かになっていく。
マンガ部門

大賞

ORIGIN
Boichi(韓国)
ORIGIN© boichi、Kodansha 2019
作品コメント(一部抜粋)
作品の舞台となるのは、あらゆる犯罪が流れ込む大都市となった西暦2048年の東京。そこでは限りなく人間に近い外見を持つ超高性能なAIを搭載したロボットたちにより、夜な夜な殺人が繰り返されていた。そんなロボットたちと敵対する主人公が、人間社会に溶け込むプロトタイプのロボット、オリジンである。オリジンは田中 仁の名で世界企業AEEに入社し、自己のバージョンアップを繰り返しながら、科学者「父さん」につくられた兄弟ロボットたちと戦っている。オリジンは感情を持たずAIのプログラムに従って行動するが、彼の前に立ちはだかるロボットたちのリーダーには感情が芽生えており、オリジンが理解できない復讐心により襲いかかってくる。生き残るために合理的な判断を続けるオリジンは、一方でいつか自分にも感情というものが生まれることを期待している。
審査コメント(白井弓子)(一部抜粋)
まず絵に圧倒される。まつげの1本1本、ひそめた眉のわずかな陰影も見逃すまいとする精緻極まるキャラクターの作画。これらが可能にするのは、記号によらない複雑な感情の表現だ。あるいは、感情の「無さ」の表現(それはこの作品には必要不可欠なものだ)。また、かつての名作短編「HOTEL」で見せたSFとしてのつくり込みも健在である。30年後という難しい時代設定を豊富な知識とイマジネーションでリアルに描き出す、その力量に舌を巻く。一方で生活感あふれるパートや、激しいバトル描写と主人公に感情が無いこととの対比がもたらす何とも言えないユーモアもこの作品の特筆すべき点で、審査委員を沸かせた。凄惨なバトルシーンや女性の描き方など読者を選ぶ面もある。

優秀賞

宇宙戦艦ティラミス
原作:宮川サトシ、作画:伊藤 亰
宇宙戦艦ティラミス© Satoshi Miyagawa Kei Ito、Shinchosha
作品コメント(一部抜粋)
地球連邦政府と宇宙移民との抗争が激化する宇宙暦0156年。戦局を打開するために、地球連邦は最新鋭の宇宙軍用艦ティラミスを出航させた。ティラミスの若きエースであるスバル・イチノセは、眉目秀麗、成績優秀な天才パイロットだが、ティラミス艦内の集団生活に馴染めず、彼の専用機である汎用人型機動兵器デュランダルのコックピットにひきこもってばかり。気の合わない仲間との食事を早々に済ませ、一人串カツをコックピット内で食べようとして、衣やキャベツを無重力空間へばらまいてしまうなど、奇行を繰り返している。宇宙移民との戦いよりも、スバルの自分だけの世界を守るための戦いを描いたギャグコメディ。
審査コメント(みなもと太郎)(一部抜粋)
マンガの本領は何といっても「ギャグ」であり「おちょくり」であり「パロディ」であり「アホ」であります。「笑い」という人間の最も高度な感情に比べれば、「お涙」だの「抒情」だの「芸術」などは二の次、三の次なのであります。「ユーモア」の語源が「ヒューマン」であることからもわかるように、「笑い」こそが人間の証であり、特権であり……とまあ、このくらいにしといてやりますが、常日頃「感動的な作品」を選びたがる当審査委員たちが、この「宇宙戦艦ティラミス」のアホさには思わずたじろぎ、揃って高得点を入れてしまったという事実が、本作の「問答無用のおもしろさ」を物語っているのですね。これほど「超絶的画力」を無駄使いした贅沢な「おバカマンガ」は類がありません。
凪のお暇
コナリミサト
凪のお暇© Misato Konari(AKITAHSOTEN) 2016
作品コメント
人に嫌われないように周囲の空気を読んで生きてきた28歳のOL、大島 凪。同僚の前でも、交際している我聞慎二の前でも、本音は口に出さずに我慢を続けてきた。唯一の趣味である節約に喜びを見出しながら暮らす凪だが、ある日自分について、同僚が陰口を叩いていること、慎二が仲間たちに「貧乏くさい女は無理」と言っていることを知る。ショックで過呼吸を起こした凪は会社を辞め、持ち物を整理し、くせっ毛を隠すためのストレートパーマも止め、郊外の小さな部屋で「お暇」生活を始める。テンポの良いセリフ回しとすっきりとした画風のコメディでありながら、「空気を読む」という現代の日本社会に生きる多くの人が経験する行為を題材に、人との関わりのなかで擦り切れたり歪んだりする心理も鋭く描いた。
審査コメント(西 炯子)(一部抜粋)
いつ「女性向けマンガでよく見るセリフ」「見慣れた展開」「いつもの落とし所」が現れるか、と思って読んでいってもそれは現れない。この作品はどこまでも誠実に、丁寧に、そして緻密に妥協なく「自分にとっての本当の納得と満足」を求める。女性主人公が悩んだ末に仕事を辞めて人生やり直す、とはよくある話だが、恋愛の成就や単なる劣等感の克服は、彼女という舟のたどり着く陸地にはなり得ない。彼女に関わる人物達も同様に「自分の上陸すべき陸地」を切ないほどの誠実さで探す。これは現在の、豊かであり価値観が多様化した日本を生きる人間が共有する、かつてなかった切実さであろう。誰かが名付けた「幸せ」が自分の安住先たり得ないと気づけば旅に出るしかなく、その旅の道連れは勇気である。
百と卍
紗久楽さわ
百と卍© Sakura Sawa
作品コメント(一部抜粋)
江戸・幕末に実在した歌舞伎役者と演劇史をモデルにした「かぶき伊左」など、江戸時代を舞台にした作品を手掛けてきた作者が、初めて男性同士の恋愛を題材としたボーイズラブ(BL)に挑み、文政末期の男色を描いた。江戸時代に茶屋などで客を相手に男色を売った男娼(陰間)上がりで、手習所で下男奉公する天真爛漫な百樹と、祭りや見世物小屋での笛吹きを生業とする伊達男卍(万次)。2人はある雨の日に出会って以来、義兄弟の契りを交わし、浅草の古い長屋に暮らしている。物語を通して、彼らの親密な関係が、かわいらしさのあるコミカルな表現を交えつつ、筆を思わせる柔らかくシャープな線で艶っぽく描かれる。2人の暮らしぶりが江戸時代の史実に基づいているのはもちろん、性表現には当時の春画風俗を多く取り入れた。
審査コメント(みなもと)(一部抜粋)
BL、男色、腐女子。そんなキーワードや差別冷笑的なこれまでの固定観念をそろそろ改めるべきではないか。それが本作を推した最大の理由である。古代ギリシャ時代から男色はあたりまえのものとして存在しており、日本においても当然古代からあった。平安・鎌倉・戦国時代のそれらを語る紙数はないが、本作の舞台である江戸時代に限っても「陰間茶屋」は「吉原遊郭」同様存在していたのだし、当時最も人気のあったベストセラー「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次さん喜多さんも男色の関係にあり、それを当時の読者たちは別段不思議とも奇妙とも思わず愛読していたという事実を我々は忘れてはならない。「かぶき伊佐」で江戸歌舞伎の魅力を濃厚に伝えてくれた作者は、本作でも「こういう絢爛な劣情があったのよ」と現代の視野狭窄した読者たちにニッコリ教えてくれた。
夕暮れへ
齋藤なずな
夕暮れへ© Saito Nazuna
作品コメント(一部抜粋)
40歳でマンガ家デビューし、現在70歳を越えた作者の20年ぶりの単行本「夕暮れへ」。1992年刊行の「片々草紙」(話の詩集)より8作品と、2012年に発表された「トラワレノヒト」「ぼっち死の館」を収録。普通に生きる人々の日常を自然体で表現した作品群のなかでも、直近の2作品は、深い洞察力で人間の煩悩を描き、個々のあるいは人間社会の条理と不条理がない交ぜとなった現実感溢れるドラマが展開される。「老い」を独自の視点で捉えた「トラワレノヒト」は、著者の長年の経験に則って、肉親の老いと介護、そして看取りまでを冷徹な視点をもって描き出し、人の尊厳について考えさせられる内容にまで昇華させた。
審査コメント(川原和子)
寡作な実力派として知られる作者の10編。90年代に発表され、単行本「片々草紙」(1992)からの再録となる8作品もそれぞれ味わい深いが、ほぼ20年経って描かれた近作「トラワレノヒト」は、客観的な事実と、母の主観(妄想)との繋げ方が見事で、気づけば老婆の不本意な人生への憤怒に満ちた内面に引き込まれ、圧倒される。「ぼっち死の館」は、団地に住まう一人暮らしの高齢者たちの生き生きとしたやりとりを通じて、誰もが一言ではくくれぬ人生を経て今ここにいることが胸に迫る。特筆すべきは2作に共通した不思議なユーモアで、ちぐはぐな会話などの笑いが、重い題材をするりと読ませてくれる。長いブランクのあと発表された2作の充実ぶりは、年齢を重ねることが作家として衰えではなく、深まりになり得ることを示した。優秀賞にふさわしい作品集である。
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