結果発表
2017/01/30 10:00

第5回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス がんと生きる、わたしの物語。

応募作品数:105点(絵画部門:50点/写真部門:55点)
主催者:日本イーライリリー株式会社
絵画部門

最優秀賞

希望の雫
木戸 瞳
希望の雫
エッセイ(一部抜粋)
2001年に子宮頸癌の告知を受けた瞬間は目の前が一瞬にして灰色になりました。
目の前に映る色というのは気持ちでこんなに変わるのかと実感したのはそれが生まれて初めての体験でした。

そして20代で子宮を全摘しなければならなくなったと知った時は、この現実を受け止めたくはないけれど、これは夢ではないから受け入れるしかない。というここまで突き付けられる現実というのもまた初めての体験でした。

手術はお蔭様で無事に終わりましたが退院後の定期検診では、数値が高い事が多く11年間再発の恐れと向き合ってきましたが、ようやく原因が分かり数値も下がって2012年に検診も卒業となりました。

癌によるショックは大きかったのですが、その体験で得たものもあります。
周りを見渡せば、植物、動物、昆虫、太陽の光など生命力で溢れているものに囲まれていたんだと眩しい程に感じられるようになりました。
写真部門

最優秀賞

パール富士
波多野 清
パール富士
エッセイ(一部抜粋)
定年一年前に妻をがんで亡くして八年、一人暮らしもやっと慣れてきたと思っていたら、今度は自分が胃がんに。
自分の家系にはがんを患った人もいないのでまさかというのが実感だった。がんより心臓系に問題を抱えていて、時々体調に異変があるので心臓カテーテルの検査を受け異常なしだったのだが、今から思えば既にがんは進行中だったようだ。
こんな様だったので胃は全摘。長年にわたり写真を趣味にしているが、暖かくなりライフワークの一つである桜の時期の直前であり余計にショックだった。

術後の回復状況も、他人と比べるすべもないので良くわからないが食生活も困難極まりない。が緩やかにではあるものの体力も回復し撮影の意欲も出てきた。
車の運転も以前ほどではないが長距離もこなせるようになった。

富士山の頂に太陽や月が昇ったり沈んだりする現象をダイヤモンド富士、パール富士と呼んでいるがこれもライフワークの一つ。
絵画部門

優秀賞・一般賞

私たちの庭
池田奈央
私たちの庭
エッセイ(一部抜粋)
それが糧となり、心に何かが咲いたのです。
高三の春、母のガンが見つかりました。明日は中間テストなのに、教科書が滲んで読めなくなったことを、よく憶えています。「お母さん、生きて」と願う裏で、ガンでこの世を去った祖父が浮かび、怖くてたまらなくなるのです。英単語を眺めることしかできない自分が、あまりに無力で泣けてきます。
父は、これからのことを私に説明しました。手術に薬、検査など、共通することは、たくさんお金が必要だということです。私の大学費用を、全額母に充てることになりました。幼い頃からの夢を叶える為に、進学校に通っていた私の未来は、思い描いていた方向には行けなくなったのです。この時の私が思ったことは、お金があって良かったということ、ただ一つだけでした。十何年も大切にしていた夢は、今でも大切だけれど、母の命は特別でしかありません。私は母が大好きです。
写真部門

優秀賞

故郷の詩
荒木信子
故郷の詩
エッセイ(一部抜粋)
主人を肺癌で8年前闘病10カ月で見送り、私は平成25年夏、体調を崩し医師から肺癌の宣告を受けた。何故私が? 何故肺癌なの? 後一年も生きられないの? これからどうしよう…。次から次へと不安が広がり目の前が真っ暗になった。初期だから手術をすればいいと言われたが、顕微鏡でしか見えない癌細胞が胸膜にもありステージ4。手術後も抗癌剤を飲み始めた。副作用にも耐え定期的の検査で、抗癌剤を服用しているのに増え続ける腫瘍マーカーの数値。再発と転移への不安に怯えながら、でも負けたくない。もう少し生きたい。そんな私の心を支えたのは20年近く続けている趣味の写真でした。各地の祭りから始まり、春の桜ふぶき、まばゆい新緑、色鮮やかな紅葉、そして私の故郷。
手術後落ち込んでいる私を見て講師から個展をやったらと声をかけて頂き「故郷の詩」をテーマに準備から開催まで指導して貰い苦しい時の人の温かさに涙が溢れました。

一般賞

バトンタッチ
渡邉浩子
バトンタッチ
エッセイ(一部抜粋)
出会いから今年で6年、子供を授かり夫婦になって1年2カ月、息子の誕生日の2日前に夫は旅立ちました。
昨年の5月に大腸ガンが見つかり、手術・抗ガン剤治療を受け懸命にガンと戦いました。
通院での治療のため、合間をみては南は九州、北は北海道と親子3人で旅をしてまわりました。この写真は10月に利尻島でのひとコマです。この旅の後、体力が弱まり、これが最後の旅となりました。
私はとても淋しがりで、夫がいないと何も出来ない位、全て夫を頼りにしていました。この光景は夫が息子に私の事を守ってやるようにとバトンタッチしているように思えました。息子のおかげで私達は夫婦に、そして家族になれ、ガンと一緒に戦うことが出来ました。
夫は相当辛いはずなのに、毎日笑顔でいてくれました。おかげで息子はいつもニコニコとても元気に育ってくれています。こんなに一緒にいられる夫婦もなかなかいない、お互い幸せだと話す事も出来ました。
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