日々の積み重ねが気配として作品からにじみ出てくる―デザイナー秋山かおりに聞くコンペの必勝法1 / 2

日々の積み重ねが気配として作品からにじみ出てくる―デザイナー秋山かおりに聞くコンペの必勝法

コンペに戦略的に挑み、成功してきたクリエイターに焦点をあてる本特集。今回登場するのは、オフィス家具メーカーのインハウスデザイナーを経て、色や素材の魅力を引き出すプロダクトデザイナーとして活躍する「STUDIO BYCOLOR」の秋山かおりさんです。

国内外で数々の賞を受賞し、企業とのコラボレーションも多く手がけている秋山さんですが、独立するまでコンペでは苦戦続きだったといいます。コンペの提案で「ピントが合うようになった」理由や挑戦することの意味、審査員の立場から見たコンペの勝ち方など、たっぷりお話を伺いました。

素材が持つ可能性を、柔らかい発想で引き出す

──秋山さんはインハウスデザイナーとしてキャリアをスタートされたそうですね。

はい。以前はイトーキというオフィス家具メーカーにいました。商品企画やプロダクトデザイン、カラースキームなどをおもに行う部署で10年間働いたあと、家具の仕事とは違うアプローチのものづくりにチャレンジしたいと、2012年に退職してオランダに行き、STUDIO SAMIRA BOON(以下、サミラ)で経験を積みました。

秋山かおり

秋山かおり/東京を拠点に、色や素材の持つ力を効果的に活用するクリエイションを生み出すデザイン事務所「STUDIO BYCOLOR」を主宰。千葉大学工学部デザイン工学科を卒業後、株式会社イトーキ勤務を経て、オランダのデザイン事務所STUDIO Samira Boonでの経験を通し、現在にいたる。千葉大学、法政大学 デザイン工学部での非常勤講師ほか、グッドデザイン賞審査員、富山デザインコンペティンション審査員を務める。

サミラは日本でも「フロシキシキ」シリーズなどで知られ、オランダを代表するデザイン・プラットフォームのDroog Design と共同プロジェクトを行ったり、いわゆるダッチデザインに見られる実験プロセスに重きを置いたデザインスタジオです。インハウスデザイナーの時には考えつかなかったような家具向けではない素材で家具をつくったり、「こんなことしていいんだ」と、自分の中で無意識のうちに凝り固まっていた常識の壁を壊してもらったように思います。

その頃サミラは、人の痕跡を可視化させるショールを開発していたのですが、その素材が日本のメーカーが開発した感温変色繊維(人の体温に近い温度で変色する糸)だったんです。素材大国である日本の優れた技術が、海外のデザイナーの柔らかい発想によって、新しい展開を見せていることが面白いなと思いました。そうした経験から、色や素材の持つ力を引き出す事務所を立ち上げたいと、東京に戻って「STUDIO BYCOLOR」をスタートしました。

2013年にマテリアル実験にフォーカスしたプロジェクト「Experimental Creations」に参加以降、インテリアアクセサリーやコンテンポラリージュエリーなどさまざまな展開を行っているという「INHERENT:PATTERN」。国産広葉樹の木材を薬剤に漬け込み、年輪と直交する道管をあらわにすることで、木が呼吸している質感を表現している。
https://inherent-pattern.katalok.ooo/ja

方向性を決めたら、ようやくピントが合ってきた

──イトーキ時代は、どんなお仕事をされていたのですか?

商品企画部で病院や空港などの公共用ロビーベンチのデザインなどに携わった後、新設されたプロダクトデザイン室に異動し、2007年には女性に配慮したオフィスチェア「cassico(カシコ)」の商品開発とデザインを担当しました。

それまで女性の体型や体質に配慮したオフィスチェアが存在しなかったので、座り仕事が多い女性のための製品をつくりました。研究・開発は女性メンバーで主導し、当時(2005年あたり)着座時間が最も長い職種であった事務職の女性をターゲットに製品開発に臨みました。人間工学を専門とする大学との共同開発で、男性と女性の筋力や骨盤形状の違いなどのリサーチを重ね、ターゲット(約170名)に具体的にヒアリングを行うなど、今までにないアプローチで商品化しました。イトーキに在籍中、最も長い期間携わった思い出深い製品です。

2012年には外部デザイナーとして清水慶太さんと一緒に、空港用のロビーチェア「アーラント」を手がけました。それまで空港のベンチというと、メンテナンスのしやすさや安全面から、金属フレームのベンチが世界で主流だったんですが、「アーラント」では国産木材を使った優しさや温もりを感じるベンチを提案し、業界内ではエポックメイキングな椅子になりました。

──インハウスデザイナーの頃はコンペに参加されていましたか?

学生の頃はもちろん、会社員になってからも、さまざまなコンペに挑戦しました。カネカや積水化学、コクヨといった企業のコンペや、家具系、プロダクト系のコンペなど、数知れず。チャンスを見つけては積極的に出していました。

──コンペはどうやって探していたのでしょうか?

やっぱり「登竜門」ですね。デザイン系で探すとしたら当時はそれしかなかったと思います。SNSもない時代ですし今の学生ほど情報がなく、なおかつ往復4時間の通学の中で課題とバイトに追われ、きちんとインプットできていなかったなと思います。その反省もあり、うちの事務所にくるインターンやアルバイトの学生にはできる限り本物を見てほしいので、意識的に一緒に現場に連れていき、引っ張りまわすことにしています(笑)。

会社員時代も、仕事とは違う頭や手の使い道をたのしむ自分がいたり、結局大きな壁を感じる自分がいたり。限られた時間の中、できる範囲でたくさんコンペに出しましたが、どこか中途半端だったのだと思います。なかなか受賞には至りませんでした。

今だからわかることですが、コンペに対してピントが合っていなかったんだと思います。後は具現化するための手技が圧倒的に足りていなかった。経験を重ねる中で自分が追い求めたいことが見えてきて、フリーランスになり、時代的にも工房やデジファブなどがオープンになってきた辺りからひたすら手を動かし、協力工場などに足しげく通い、失敗作も多々抱える中、ようやくピントが合った提案ができるようになったように思います。

苦い体験が、次の挑戦につながることもある

──実際に、どのようなコンペにチャレンジされてきたのでしょうか。

フリーランスになって最初に応募し、受賞に繋がったものは、2013年に行われた「1万人のクリエイター ミーツ PASS THE BATON」です。このコンペは企業から寄せられたB級品やデッドストックを題材に、再利用を促すデザインアイデアを募集するというもので、選ばれたアイデアはPASS THE BATTONからリサイクルアイテムとして実際に販売されました。

私は、ニールズヤードというイギリスのコスメブランドのブルーボトルをアップサイクルするというテーマに対し、遊んでいる中で発見した「青いガラスを通すと炎の色が異なって見える」という発想の糸口をたぐり寄せ、ボトルをガラスカッターでカットしたキャンドルスタンドを提案しました。白い炎を愛でるキャンドルとして「WHITE LIGHT」という名前で販売してもらいました。

WHITE LIGHT

2014年には「富山デザインコンペティション」に出品しました。同コンペは1994年に全国初の商品化を前提としたデザインコンペとして始まったもので、よく知られている通り、これまでにたくさんのヒット商品を生み出してきました。富山・高岡の技術としてよく知られるガラスや鋳物の作品は過去の受賞作に多々あったので、あまりまだ注目されていない加工技術に目を向け、私はエンブロイダリーレースマシンという、全長13mもある自動織機でレースを一気に織り上げる機械を持つ中越レース工業さんとともに、開通した北陸新幹線をモチーフに、車窓の景色のようなレース柄が連続するハンカチーフを提案し、入選することができました。

──ほかに印象に残っているコンペはありますか?

グッドデザイン賞を主催する日本デザイン振興会の「メコンデザインセレクション」にも参加しました。こちらはメコン川流域のカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムの4ヵ国の伝統技術に対し、デザイン提案するというコンペです。私はカンボジアの「スゲ」というい草のような素材を使い、日本製のゴムと一緒に織り込むことで、クッション性とグリップ性があるヨガマットを提案しました。結果的には商品化には至りませんでしたが、約1週間のカンボジアでの滞在を通し、日本との関わりやインフラ、現地の方々とモノづくりに触れる良い経験となりました。

このカンボジアでの経験を活かしたいと思って参加したのは、2017年に開催された「つなぐデザインしずおか」というコンペです。松葉畳店という畳屋さんが参加されていて、はじめはモジュール化したマットを提案していたのですが、現場で色々とお話を伺う中で「い草」の素材としての魅力を引き出す必要があると強く感じ、インテリアの一部としてモダンなライフスタイルでも取り入れやすい一輪挿しとパーテーションの形としました。

「つなぐデザインしずおか」で商品化された、い草をつかった一輪挿し「TATTE」。

これがきっかけで、最近い草の芽や根本や断面などをパターン化した「松葉縁」をデザインさせていただきました。実は私の新居にも入れてもらったのですが、縁(へり)があることで7~10年後に裏返して使用できるサスティナブルなインテリアエレメントなんです。こういったことも併せて、現代を生きる私たちは過去から学び、形や意味を更新させて次の世代へ繋げる必要があると考えています。

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