東京の街で出会う2人の女性を描く、ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 「Cinematic Tokyo」部門受賞作に込めた想い1 / 2 [PR]
アジア最大級の国際映画祭として、1999年より毎年開催されている米国アカデミー賞公認の「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア(以下 SSFF & ASIA)」。24回目となる2021年度の開催では、世界約120の国と地域から集まった6,000を超える作品の中から選りすぐられた約250作品が、東京各所のリアル会場およびオンライン配信にて公開された。
同映画祭では、東京という街の魅力を発信することを目的に、東京をテーマにしたショートフィルムを募る「Cinematic Tokyo」部門を2017年より実施している。本年度の優秀賞を受賞したのは、アジア系アメリカ人のラヴェンナ・トランさんによる『それから(And Then)』。アーティスト・イン・レジデンスで東京に訪れた自身の体験をもとに制作されたという本作では、主人公である女性アーティストが抱える不安や、旅先で出会った女性との恋愛関係が、浅草や蔵前といったロケーションを背景に、ロマンチックなストーリーで描かれている。トランさんに、東京での制作背景をはじめ、作品に込めた想いやフィルムメイカーとして考える映画祭の意義について語っていただいた。
イラストレーターからの転身
––トランさんはゲーム業界でコンセプトアーティスト・イラストレーターとして活動されていたとのことですが、映画業界に転身された経緯についてお聞かせください。
個人的に、イラストレーションという手法に対して、物語を語る上で限界があるように感じたことが、フィルムメイカーとしてのキャリアを考えるきっかけでした。映画であれば、感情を表現することやストーリーを語ることが、より効果的にできると思ったんです。
同じく、撮影することや映画というレンズを通してイメージを膨らませることが好きだったのも理由としてあります。私にとって映画は、もっともお気に入りの表現方法なんです。
また、映画制作はコラボレーションが前提としてあるので、仕事を通してさまざまな人と出会い、時になにか一緒につくれることが、キャリアチェンジを考える上でもっとも大きな理由でした。いまは満ち足りた気持ちでいっぱいです。
––ゲーム業界でのご経験は、映画制作においても活かされていますか?
たしかに、制作にあたって何が必要なのかという現実的な視点を持つ上では役に立っていると思います。多くの共同作業が必要な長期にわたる制作プロセスでは、たくさんの計画と忍耐が必要ですからね。
映画の一部であるような東京の街
––『それから(And Then)』が生まれた背景について教えてください。
本作は、アメリカで映画制作について学ぶ10週間のコースを受講した後に、アーティスト・イン・レジデンスとして滞在した、東京・台東区のクリエイティブレジデンス「Almost Perfect」での個人的な経験にもとづいています。
『それから』は、私にとって初の本格的な映画であり、物語のあるドラマ作品になると思ったので、自分自身にとって身近で、馴染みのあることについて書こうと考えました。そうすることで、観る人が共感できる物語にしたいと思ったんです。私のような駆け出しのフィルムメイカーにとっては、実際の体験を題材にした方がやりやすいですし、映画の中で重要となる感情や感動的なシーンをきちんと理解できるのではないかと考えました。
––物語の中では「Almost Perfect」がある浅草や蔵前のほかにも、渋谷といった東京の街や、地方での撮影も行われています。ロケーションはどのように選定されたのでしょうか?
アーティスト・イン・レジデンスで過ごした2ヶ月間、私は近隣の地域や東京のさまざまな場所を探索しました。物語にとって最適で、撮影のしやすいロケーションを選ぶために、かなりの時間歩き回りましたね。その場所にいる感覚や、登場人物たちがそこでどんなことを感じるのかというフィーリングを得るために、多くの時間を過ごしました。
ロケーションとなる場所は、安全で、撮影スタッフが十分に収まる広さが必要でしたが、幸いにも「ハモレビカフェ」や「ゴールドフィンガー トーキョー」といった地元の店舗で撮影させていただくことができました。私が滞在していた「Almost Perfect」でも、インテリアのセンスがとてもいいので撮影を行なっています。予算的に助かりましたね。
同様に、郊外での撮影に関しても、制作コストを抑えるためにAirbnbを活用しています。予算上の制約と、作品にとって正しいと感じられる場所を選ぶこと、そのバランスが重要でした。
––日本ならではの魅力が感じられた撮影場所はありましたか?
東京はどの場所においても日本の文化があり、日本特有の美しさをすべてのロケーションで感じましたね。地方の撮影では、その場所の特徴が感じられる地元の店舗での撮影を意識的に取り入れるようにしました。オーセンティックであることや、リスペクトが感じられるように、誠実に表現することを重視しました。
––神棚についての描写もありますが、どのようなきっかけで生まれたのでしょうか?
滞在先のAirbnbの家主の方が、家の中の案内をしていただく際に、神棚の意味について説明してくれたんです。ぜひ作品に取り入れたいアイデアだと思いました。日本で撮影された映画として、作品の中で日本の文化を描きたかったんです。
––撮影プロセスにおいて印象的なエピソードがあればお聞かせください。
最も忘れられないショットは、渋谷の交差点で主人公の俳優2人のまわりを、撮影クルーが360度回転しながら撮影したことですね。実はワンテイクのみの撮影だったんですが、混雑した交差点での複雑なショットで、最初のテイクだったのにも関わらず完璧に撮影できたことは、私のキャリアにおいてもっとも忘れられない瞬間になりました。
俳優のまわりを回転しながら撮影する間、カメラに映り込まないように撮影チーム全員がスタディカムのオペレーターの後ろを走らなくてはいけなかったんですが、とても楽しくてドラマチックでしたね。
––東京を舞台にした映画は数多くありますが、本作の制作にあたって参考となった作品があれば教えてください。
あまり他の作品を参考にしすぎないようにしていました。西洋的な視点から距離を置きたかったですし、映画制作を通して、自分自身の作家としての“声“がどのように表現されるのか知りたかったんです。でも、撮影のアイデアや構図についてのインスピレーションを得ることや、カメラの動き、演技の付け方といったことを参考にする上で、他の作品を観ることはとてもいいことだと思います。
––映像作品の舞台として東京に対して感じている魅力を教えてください。
東京はきらびやかな街なので、美しい映画をつくることはとても簡単です。それに、東京では誰もが礼儀正しく、他人に干渉しないので、屋外での自然なシーンの撮影はとてもやりやすかったですね。
アメリカでは誰もが立ち止まってカメラに映り込もうとするんですが、東京ではそういったことはありませんでした。まるで東京での暮らしが映画の一部であるかのような感覚で、とても穏やかでした。撮影の度に許可が必要だということもありませんでしたね。