WFPエッセイコンテスト 2015
応募作品数:15,841点
受賞作品数:22点
主催:特定非営利活動法人国連WFP協会
※ここでは、WFP賞・部門賞・審査員特別賞の7点をご紹介します
WFP賞(最優秀作品)
特別なクッキー
大類 啓(四谷インターナショナルスクール高等部)
- 作品内容(一部抜粋)
- "女の子が私にピーナツの入ったクッキーを差し出した。少し汚れて湿ったポケットから両手でこっそり渡そうとしてきた。私は昨年カンボジアの孤児院を訪れた。そこで一番なついてくれた女の子だった。私は迷った。実はピーナツが苦手だ。それにこのクッキーはいつの物なのかわからない。拾った可能性もある。しかし純粋な目でまっすぐに見つめられると受け取らない訳にはいかなかった。気持ちだけ受け取って自分のポケットにしまっておこうと、手をのばした。女の子は口に入れろとジェスチャーで伝えてきた。もうだめだ、ピーナツが苦手とか言える状況ではない。だいたい言葉も通じないのだ。私は思いきってクッキーを口にいれてみた。それは甘くなくしょっぱい味だった。クッキーではなかったかもしれない。女の子はとても楽しそうに笑って、前の日に私が渡した折り鶴を取り出して見せた。そうか、お礼だったのかと私は初めて気がついた。
…"
- 審査コメント
- 少し汚れて湿ったポケットから、カンボジアの女の子がおずおずと差し出してくれたクッキー。貰った日本人の高校生は、口に入れるのをさぞかしためらった事だろう。
その情景を想像するだけで、日本の無意識に過ごしている贅沢な日常が見えて来る。まだ充分に食べられる食品を捨てているコンビニでアルバイトしているという、筆者の見事な文章が胸を打った。この日本の無駄な消費を、今からでも何とか出来ないものだろうか。(湯川れい子)
小学生部門賞
してみて分かったこの辛さ
冨永萌夏(カリタス小学校)
- 作品内容(一部抜粋)
- "私は今、日の入りを待っています。これほど日の入りを待ったのは、生まれて初めてでした。私は、日の出の一時間半前から、十五時間五二分空気だけで、水一滴さえも口にしないでその日を過ごしたからです。知人が一カ月間断食を行う間、たった一日だけ経験させてもらったのです。夜中の二時に無理矢理朝食をとってからは、水一滴さえも飲まないで、その日を過ごしました。だんだん、昼過ぎごろから、いつもより何かするのが大変になって、頭も額の辺りが重たいような感じがして、ぼんやりしてきました。体に食べ物が入っていないという事は、思うように体も頭も働かなくなるんだと、気付きました。そして、三時すぎぐらいになると、夏なのに、体温が落ちて、寒気までしてきました。知人が話してくれました。飢えで思うように食べられない人達の身になって、理解する事もこの断食には、含まれているそうです。日の入りになって、食卓の上に水やご飯が置かれてきました。
…"
- 審査コメント
- 日常の食事がテーマとなっている作文が多い中でこの作品はちょっと違っていた。普通の生活では体験することのない断食という出来事から感じたことを、実に素直に冷静に分析している。
断食で起こる体の変化、心の葛藤などの表現は、小学生とは思えない文章力だ。
読んでいるうちにまるで断食をしたかのような気分になってしまい、僕もあらためて食べ物の大切さを実感してしまいました。
本当に「ありがとう」と言いたい作品です。(本田 亮)
中学生・高校生部門賞
シャルル・ド・ゴール空港の豪華な昼食
小野村 龍(巣鴨高等学校)
- 作品内容(一部抜粋)
- " 今年の夏、僕はケンブリッジ大学の短期留学プログラムに参加した。あっという間の二週間が過ぎ、思い出やらお土産やらで膨らんだザックを背負っての帰りの出来事である。
安い航空券のため、フランスの空港で三時間の待ち時間が生じた。広いだけで驚くほど殺風景な空港のソファーで、この時間をどうやって過ごそうか思案していた。お土産は十分買ったし、五千円分ほど残っているポンドをここのレストランで使い切ってしまおうか。「最後の食事は豪勢にステーキでも食べてやるか」などと考えていると、向かいのソファーに大きな荷物の大家族が座った。お父さんとお母さんと小学生から中学生くらいまでの子どもが四人。空港の中でも目立つほど薄汚れた服装だった。移民か引っ越しか。家族旅行とは思えない。しゃべっている言葉は何語かも分からないが、子どもたちは元気だ。
つい見とれていたら、一番小さい小学一年生くらいの男の子と目が合ってしまった
…"
- 審査コメント
- 僕も海外での生活が長かったが、最初に生活したスイスでは、自分が一生懸命働くと彼らは「ここでの生活は君の家と思って好きなようにしなよ」と、何度も言われたことを思い出した。日本人には理解できないグローバルな世界観があった。まさしく自分が上とも下とも思っておらず、本当の意味でのホスピタリティを身につけている。そのことを海外で実際に自分より貧しい人たちから教えられたことは、彼の人生の宝になるでしょう。(三國清三)
18歳以上部門賞
- 作品内容(一部抜粋)
- " 男子100m決勝の約一時間前、一人の男性がゴミ箱をあさっていた。「空腹に耐えられないから、この中の弁当を分けて欲しい」という。審判員の食べ残しである。
一九九一年、アジア初の世界陸上が東京で開催された。男子100mのカール・ルイスや走り幅跳びのマイク・パウエル、男子棒高跳びのセルゲイ・ブブカなど多くの有名アスリートが一度に見られるのである。日本中が浮かれあがっていた。そんな折、公認審判員としてサブグランドの管理をしていた私の所に、その人はやって来たのである。
私は愕然とした。彼は世界陸上という華やかなステージの男子100mファイナリストだったのだ。しかもよく見ると、彼のスパイクは明らかにサイズがあっていないばかりか、つま先が破れている。ピンの角もすり減って、もはやスパイクとしての役目をはたしそうにない。
…"
- 審査コメント
- 国を代表するアスリートでも、満足な食事をとることができず、ごみ箱に残された食べ残しを欲しがる。この衝撃的な事実を目の当たりにした筆者は、その経験を心に留めつづけ、地球上から飢餓と貧困が少しでも減ることを祈ってくださっている。
新興国経済が成長を果たし、絶対的貧困にあえぐ層は減ってきたかに見える。しかし、紛争、災害、干ばつなど、世界を揺るがすさまざまな事件は、その度に飢餓と貧困に苦しむ人たちを生み、また一見豊かに見える国々でも、さまざまな理由で、貧しさに苦しみ、十分に食事をとることもできない人たちが存在する。
このエッセイは、読者に対して、世界の現実から目をそむけず、自分ができる範囲でなんらかの行動を起こさなければ、という気持ちを起こさせてくれます。ありがとうございました。(御立尚資)
審査員特別賞
- 作品内容(一部抜粋)
- " これは、私の祖父の願いを叶えるためにした私達家族の一つのお話だ。
私が幼稚園生だった時、私の大好きな祖父はある日突然、前ぶれもなく倒れた。話すこと、食べること、歩くこと、祖父はほとんどの自由を失った。優しい優しい祖父の姿は変わり果て、毎日死と向き合う祖父を前にとにかく恐かったという記憶しかない。なんとか一命をとり留めたが、祖父はこの先も口から食事をとることは難しいと宣言された。家族の手助けの中、祖父は胃につないだチューブで食事がとれるまでになった。食べる楽しさを失った祖父に雰囲気だけでもという想いから、食事は家族揃っておしゃべりしながらするように心掛けた。「いただきます」と同時に管のレバーを下げ、胃に直接栄養を流し込むのをいつも見ていた。
ある日、久しぶりの家族旅行での夕食…奇跡が起きた。「少しだけ、味だけでも」母はハンバーグを細かく砕き、祖父の口へ持っていった。
…"
- 審査コメント
- 作品を拝読して心がジーンとしました。そして自分も大好きな祖父のことを思い出しました。祖父は数年前に倒れ入院しました。忘れられないのが、もう何も食べられないのにゆっくり目を閉じて、お口をモグモグしているのです。せつなくなりました。そして“食べられる喜び”を、あらためて感謝する気持ちが大きくなりました。
これからも、1食1食をかみしめて「忘れられない幸せなごはん」として心に刻んでいきたいでギョざいます。(さかなクン)
忘れられない一人でのごはん
岩﨑広暉(クラーク記念国際高等学校 芦屋キャンパス)
- 作品内容(一部抜粋)
- " 一年半程前の話です。僕は中学受験をして、関西の中でも上位の進学校へ通っていました。その学校は、中一の間に中学数学を終わらせ中二からは数I・Aをしていくぐらい、勉強の進むスピードが速い学校でしたが、勉強自体は追いつけてやれていました。しかし部活でのストレス、日々の人との関わり、周りの人からの期待などに耐えられず、不登校になりました。そして中三に入る前の冬、家族でごはんを食べ出す前に思いきって切り出しました。
「俺、今の学校やめて普通の市立に籍移して、フリースクールに通おうと思う。」
その時の家族の反応を忘れる事が出来ません。父は自分がどんな思いで通わせていたかを怒りながら話し、母はもうこの子の人生どうしようと泣きながら言い、兄はもうお前終わったな、という言葉を吐き捨てました。そして父にこう言われました。
「お前の顔を見て食事をしたくない。部屋に戻れ。」
僕は素直に部屋へ戻りましたが、何より家族の反応に失望しました。
…"
- 審査コメント
- 異色の作品。それだけに深く刺さりました。「家族団らん」と言えば一家での和やかな食事時を想像しますね。でも、岩﨑君にとっては団らんの場であるはずの夕食が、ご家族との精神的訣別をもたらしました。中学生には重すぎる現実です。しかし、それでも岩﨑君は自分の意志を貫きました。その勇気と決断力に拍手を送ります。これからも自分の信じる道を歩んでください。そして願わくば、その道すがら心許せる友と美味しいごはんを食べてほしいと祈っています。(竹下景子)
- 作品内容(一部抜粋)
- " いつかは誰でも大切な人と「さよなら」する。だけど九歳の僕に、その覚悟は出来なかった。悲しい時、悔しい時、落ち込んだ時、いつもそばにいて寄り添い勇気付けてくれた。祖母は僕にとって、かけがえのない存在だ。その祖母がC型肝炎になり、肝硬変で苦しんでいた。僕は自分の無力さが悲しかった。
ある日、祖母は「ちらし寿司が食べたい。」と言った。医師は「叶えてあげてください。」と。だがそれは、もう祖母に時間がないことを意味していた。僕は複雑な気持ちだった。
翌日、彩り鮮やかなちらし寿司を見て「美味しそう!心が癒やされるね。」囁くように言った。母が小さなスプーンで祖母の口に運ぶと、これ以上ないというくらいの笑顔で、ゆっくりゆっくり頷きながら口を動かし、幸せそうに食べた。母が二口目を運ぶと「健ちゃん食べて」と、僕の手を握った。祖母の手から優しい温もりが伝わってきた。
…"
- 審査コメント
- どんなに悲しくても辛くても、食べることで人は幸せを感じることができる。美味しく食べることは自分だけでなく大切な誰かをも幸せにしてあげられる。この作品からかけがえのない家族の温かい一さじと、孫にハンディーを克服し生き抜く勇気を持ってほしいという祖母の想いが伝わってくる。命と食の輝きを感じる文章だ。(三浦雄一郎)