結果発表
2018/06/22 10:00

第21回 文化庁メディア芸術祭

応募作品数:4192点(アート部門:1968点/エンターテインメント部門:455点/アニメーション部門:660点/マンガ部門:1109点)
受賞作品数:32点(アート部門:8点/エンターテインメント部門:8点/アニメーション部門:8点/マンガ部門:8点)(功労賞を除く)
主催:文化庁メディア芸術祭実行委員会

アート部門

大賞

Interstices/Opus I - Opus II
[映像インスタレーション]
Haythem ZAKARIA(チュニジア)
Interstices/Opus I - Opus II <br />[映像インスタレーション]© Haythem Zakaria
作品コメント(一部抜粋)
砂漠の風景を捉えた静的な「Opus I」と、海の風景を捉えた動的な「Opus II」は、それぞれの映像にデジタル処理を行うことで、オリジナルの風景を超越する「メタ・ランドスケープ」を引き出すインスタレーションプロジェクトである。タイトルの「Interstices(すき間)」はラテン語の「interstitium」(inter「~の間」+sistere「立つ、置く」)から派生しており、空間的な間隔のみならず、時間的な間隔をも意味している。横長のアスペクト比で制作されたモノクロームの風景映像の上には、同じくモノクロームで表現される四角や直線などの図形が重ねられ、風や波音の自然音が断続的に響く。こういった要素により、本作では、自然に隠された秩序やリズムが明らかにされる。
審査コメント(藤本由紀夫)(一部抜粋)
応募作品を鑑賞していると、テクノロジーを駆使して感覚を驚かせる作品と、感覚を通して思考を揺さぶる作品の大きく2種類に分かれるように思われる。Haythem ZAKARIAの作品「Interstices/Opus I - Opus II」は後者を代表する作品である。「風景」とは、物理的に存在するものではなく「読みとるべきもの」であることをこの作品は教えてくれる。あたかも哲学書のページをめくるように、一つひとつのシーンが静かに、そして過激に、鑑賞者に思考を促している。地平線や水平線の続く具体的な画像と、抽象的な形、そして音までが「ランドスケープとは?」「パースペクティブとは?」と鑑賞者に問い掛けている。他の応募作品に比べ静的なこの作品は、徐々に審査員の興味を引いていき、大賞に選出された。…

優秀賞

アバターズ
[メディアインスタレーション]
菅野 創、やんツー
アバターズ<br /> [メディアインスタレーション]Photo by Kazuomi Furuya Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media[YCAM]
作品コメント(一部抜粋)
電話やカラーコーン、石膏像、車、観葉植物など大小さまざまな日常的なオブジェクトで構成されるインスタレーション作品。個々のオブジェクトには、カメラ、マイク、モーター、小型コンピューターなどが組み込まれ、インターネットに接続されている。鑑賞者はウェブブラウザからログイン(「憑依」)することで各オブジェクトを「アバター」として操作することができ、オブジェクトの知覚世界を疑似的に体験できる。自分の身代わりであるアバターは仮想空間ではなく現実空間に存在し、そこにいる生身の人間(観賞者)と会話することも可能である。…
審査コメント(阿部一直)(一部抜粋)
「アバターズ」では、ポストIoT時代のモノの世界を予感させる構想において、他のアーティストとは一線を画したプロジェクトを実現しようとしている。展示空間には、日常の中の大小さまざまなモノが散らばって配置されている。それぞれには移動メカニクスがしこまれており、属性によって空間内の位置や移動する方向を変えていく。鑑賞者は、空間全体を脇から眺めていてもよいが、ネットワークからまずこのプロジェクトに参加することが重要だ。それによって、自身がどのモノにアサインされたかは不明なまま、モノに付いたカメラ(一眼)から、偏向された世界を同時並行に解読し、様々なモノの立場から体感的にバラバラに動き回る。…
進化する恋人たちの社会における高速伝記
[メディアインスタレーション]
畒見達夫、ダニエル・ビシグ(日本、スイス)
進化する恋人たちの社会における高速伝記<br />[メディアインスタレーション]© 2017 Tatsuo Unemi and Daniel Bisig
作品コメント(一部抜粋)
人間社会を模した進化生態系シミュレータが自動的に作り出す、高速で展開する人生ドラマを鑑賞する作品。シミュレータ内の仮想空間に存在する数千もの個体は、男性が角ばった形状、女性が丸い形状、子どもは男女それぞれの形状で小さく、そして「もの」が三角形で表現される。シミュレーション内の時間の進行は10日間を1ステップとし、人の一生は約1分半で計算され、誕生、恋愛、離別、死を繰り返す。各個体は、異性の姿と好みの遺伝子を持つ相手に求愛するため、異性から恋愛対象とされるような見た目に進化する。同性に恋をする個体も存在し、時には「もの」に恋をする個体も現れる。作品には個体が動き回る様子と、数個のサンプル個体の人生の出来事を記述した文章が表示される。
審査コメント(中ザワヒデキ)(一部抜粋)
進化論によって美の起源を説明しようとする立場がある。当然それはコンピュータ上に生態系や社会をシミュレートすることによって検証可能なはずである。本作は実際にそれを行った研究として第一の意義を持つ。しかしながら遺伝子の交換と複製と淘汰という進化論上のイベントは、セックスと出生と死という切実な人生の主題でもある。本作に前述の意義以上の冗長があるとしたらその点で、喧しい人声と葬送の鐘の音の重なりが、1分間に最大で8000篇生成される人生の物語のごく一部の標本から発せられているという事実に唖然とする。瞬時に表示され消えていくテキストは、題名どおり高速伝記であり墓碑銘でもある。固有名が割り当てられたり、離別も記述されたりする仕組みによって、単なるシミュレーションやメディアアートにとどまらない、大量性に裏打ちされた新種の写実主義文学あるいは既存の文学批判として本作を鑑賞できる。
水準原点
[映像作品]
折笠 良
水準原点 <br />[映像作品]© Ryo ORIKASA
作品コメント
戦後を代表する詩人であり、シベリア抑留の経験をもつ石原吉郎(1915-77)の詩「水準原点」を約1年にわたって粘土に刻印し、ストップモーション・アニメーションの技法で制作した映像作品。次々と沸き起こる白い粘土の波は徐々に大きくうねりだし、やがて「詩」が1文字ずつ現れる。文字は波紋をつくって現れては波に飲み込まれていくため、鑑賞者は1文字1文字を噛みしめるように鑑賞しなければならない。さざ波のシンプルな反復が内包するドラマチックさを、クレイアニメーションの表現が引き出している。作家は、オスカー・ワイルド「幸福の王子」、萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」などの文学作品をモチーフに、書くこと/描くことを運動=アニメーションとして提示する映像を制作してきた。斬新な水の表現と言葉の発生を捉える視点が高い評価を受けた。
審査コメント(石田尚志)
アニメーション技法を用いた映像作品の歴史には、その技法の特性から声や文字をテーマにした傑作が多い。言語とイメージの発生についてさまざまな探求が続けられてきたその歴史のなかに、この「水準原点」は新たな位置を見出しただろう。折笠は一編の詩と向き合い、言葉の現前そのものを表現している。繰り返しやってくる波のうねり、そしてその波頭の執拗なうごめきは驚異というしかない。海原に刻み込まれる言葉に、さらに渦が巻かれていく。その海原が、24コマなり30フレームなりの単位で撮影されていくさまは、アニメーションの根源的歓びと、壮絶な身体的痕が残されたドキュメンタリーとしての感動がある。同時に感じるのは、映像の抜本的な欲望としての水の表現だ。優れた映像作家は、それぞれ自分の水の描写を持っているが、折笠の水の表現も、映像が成し得る一つの奇跡ではないだろうか。言葉の海。渦巻くイメージの海原に彼は船出したのだ。
Language Producing Factory
[映像インスタレーション]
DAI Furen(中国)
Language Producing Factory<br />[映像インスタレーション]© Furen Dai Photo: Furen Dai
作品コメント(一部抜粋)
中国湖南省江永県の山村で女性だけに伝承された言語「女書」をテーマにした映像インスタレーション。女書はかつて教育を受けることができなかった同地の女性たちが、生活のなかで感じる気持ちを語り合うために生み出されたとされる。言語に強い関心を持つ作者は、研究のため2015-16年に同地の村を訪れ、観光客向けのパフォーマンスとしてわずかな賃金を対価に女書を使うことを強要されている女性たちに出会った。本作の場面では、上役の女性が紐を引くと、牢屋のような部屋に同じ青い制服を着て座っている三人の女性の三つ編みが紐に引っぱられ、彼女たちは指示された文字を布に刺繍し始める。やがて女性は作業を続けるなかで自ら布の中に閉じ込められ、そのまま刺繍とともに商品として売られていく様子が描かれる。
審査コメント(森山朋絵)(一部抜粋)
作品の冒頭、中国湖南省江永県の少数民族に伝わる「女書」を継承し生業とする現代の女性たちが、「ことばを生産する工場」に「出勤」し、ナイキのスニーカーや私服を「衣装」に着替えて「仕事」に就く。彼女らは、映画「未来世紀ブラジル」(1985)やマシュー・バーニーの「クレマスター」シリーズを想起させるような、ファンタジックに動く機構や鮮やかな色彩のなかに囚われている。女書文字を書いたり刺繍を刺したりしているうちに、彼女らは自ら糸を引き絞り、がんじがらめになっていくように見える。また本作終盤には、本物の江永県の風景や女性らが束の間だけ登場している。

新人賞

I’m In The Computer Memory!
[メディアインスタレーション]
会田寅次郎
I’m In The Computer Memory!<br />[メディアインスタレーション]© 2018 Torajiro AIDA
作品コメント
コンピュータの中で動作しているメモリを視覚化し、その中を探検する参加型インスタレーション。鑑賞者はタッチパネルでメモリの中を探索し、その様子は目の前の大きなスクリーンに映し出される。リアルタイムで動作しているメモリの中の様子は四角形のブロックで表示されており、その間を探索していく。メモリ内部に何らかの情報がプールされていることを視覚的に知ることができるが、その内容やそこにある理由を知ることは難しい。鑑賞者は本作を通じ、日頃使用するコンピュータのなかにある、不可視の世界を感じることになる。本作のソースコード(プログラム)はソースコード管理サービスを通じてインターネット上に公開されている。
審査コメント(中ザワ)
「もの」をただあるがままの「もの」として見るという1970年頃の日本美術動向であるもの派を念頭に、評者は90年頃、GUI型パソコン画面にアイコンがただ置かれることのリアリティを「デスクトップもの派」と称した。今日なら、メモリ内のデータを存在として可視化し対峙することに説得性を感ずる「プログラマーもの派」がいるはずで、本作の作者はそれだろう。もの派の作家が語った世界内存在や、マウスポインタを自分と感じる「今・ここ・私」の世界観は、単純な本作の構成にも、作品名や末尾の「!」にも、見事に結実している。
Panderer(Seventeen Seconds)
[映像作品]
Gary SETZER(米国)
Panderer(Seventeen Seconds)<br />[映像作品]© 2016 Gary Setzer.
作品コメント
映像の中の作者が観客に語り掛け、その横ではコンマ100秒の単位で経過秒数がカウントされる。作者は「美術館で、平均的な鑑賞者がアート作品を見るのに使う時間は1作品につき約17秒であり、この映像作品はその制約を受け入れて17秒という理想的な鑑賞時間を正確に守っている」と語る。10秒を過ぎたあたりで、この作品で伝えるべき内容はすべて語られた旨が告げられ、17秒になったところで、画面が黒くフェードアウトする。映像作品は作品の意味を伝えるための重要な要素として時間に依存する。しかしこの作品では「平均的な鑑賞者」の非現実的な要求に従うことで、ある意味論理的な体裁を取りながら、アートを鑑賞するという体験に対して私たちが持っている期待感をユーモラスに皮肉っている。
審査コメント(森山)
本作は、極めて今日的な芸術鑑賞の課題をメタ認知的にパフォーマンスしている。1990年代、美術館の観客はビデオアートや解説映像に2分で飽き、インタラクティブ作品を好むように見えた。「ミュージックビデオ/新たな感受性をのせて」展(東京都写真美術館、2002年)でミシェル・ゴンドリー特集を組んだとき「ミュージックビデオ脳か!」と「2分」の根拠が急に腑に落ちたが、さらに今世紀に入ってSNSや動画サイトに慣れた我々は、今やリニアな興味を「スキップできる広告+CF程度の尺」=約17秒しか持続できない、インスタ脳の観客になったのかもしれない。
The Dither is Naked
[ネットアート]
YANO(スイス)
The Dither is Naked<br />[ネットアート]© 2017 YANO
作品コメント
ディザリングとは、画像にノイズを加えることで実際よりも少ない色数で階調をデジタル画像で表現する技法である。ディザリングが成功した画像では鑑賞者の目には画像処理アルゴリズムの存在が見えない。誤差拡散法を用いるフロイド-スタインバーグ・ディザリングと呼ばれるアルゴリズムでは、あるピクセルの量子化誤差の調整できない分を隣のピクセルに渡し、全体を通して誤差を平均化する。色のグラデーションにこのアルゴリズムを使うと、拡散の力が弱くなり、鑑賞者の目にもアルゴリズムの存在が浮かび上がる。本作では鑑賞者が自分でピクセルサイズ、色、ディザリングの単位などを選択し、アルゴリズムの仕組みを見ることができる。
審査コメント(中ザワ)
以前から広く使われている画像処理法であるディザリング技術を、実用に供する手段としてではなくアルゴリズムそのものの裸形の美の具現と捉えて目的化してしまった作者の転倒が、作者自身によって加速されている様子に目を奪われずにはいられない。すなわち「ディザリングの為のディザリング」という「芸術の為の芸術」が、純粋ウェブアプリの制作や、茫々たる自然のような抽象的ディザ画像集のSNSへの投稿へと作者を走らせている。後者に付される「here a fancy dither for you!」との屈託のなさも素晴らしい。
エンターテインメント部門

大賞

人喰いの大鷲トリコ
[ゲーム]
「人喰いの大鷲トリコ」開発チーム(代表:上田文人)
人喰いの大鷲トリコ<br />[ゲーム]© 2016 Sony Interactive Entertainment Inc.
作品コメント(一部抜粋)
「ICO」(2001)や「ワンダと巨像」(05)といったPlayStation®2を代表するゲームを手がけ、国内外に熱心なファンを持つ上田文人が、監督とゲームデザインを担当したアドベンチャーゲーム。プレイヤーは主人公の少年を操作し、巨大な生き物、大鷲のトリコとコミュニケーションを取りながら、忘れ去られた巨大遺跡のさまざまな仕掛けを解き明かしていく。トリコをエサで誘い出して任意の場所に移動させたり、敵の出現で興奮したら撫でて落ち着かせたり、直接の操作が及ばない存在へのアプローチが、本作の特徴的なゲーム性を生み出している。制作の初期から取り掛かったというトリコのキャラクターデザインは、ドラゴンや恐竜といったファンタジーで定番化した生き物ではなく、犬か猫のような顔と、羽を持つ独特な姿で表現されている。
審査コメント(遠藤雅伸)(一部抜粋)
この作品が目指しているのは、架空の動物に対する心の絆という、これまでのゲームの文法とはまったく異なるゲーム体験である。そのため、プレイヤーがトリコを動物として違和感なく感じられるよう、惜しみなくAI技術がつぎ込まれている。身近に実在する動物をモデルとしたモーションや質感は、コンピュータが動かしているCG映像に過ぎないという認識を突き崩し、信頼関係を築ける存在としてトリコを意識させる。また、ゲームメカニクスはアクションアドベンチャーだが、先の展開を自然と視界に入れるカメラワークは、操作性が犠牲となることを上回る良質なナラティブ(物語)を提供している。さらに重要なシーンでは、スローモーションを使った演出が行われるが、アクションのタイミングや間合いによっては失敗する場合もある。

優秀賞

FORESTA LUMINA
[空間表現]
「FORESTA LUMINA」制作チーム(カナダ)
FORESTA LUMINA<br />[空間表現]© Moment Factory Photo: Moment Factory
作品コメント
公園の魅力を世界に向けて発信したいというゴルジュ・ド・コアティクック公園からの依頼を受け生み出された、イルミネーションで演出された森を歩くエンターテインメントプログラム。来園者は自然公園内の2.6kmの遊歩道を歩きながらこの地域の神話や伝説にインスパイアされた魔法の物語を体験する。冒険の舞台はプロジェクションマッピング、ライティング、サウンドエフェクトなどを駆使してつくられており、五感に訴えかけるユニークな体験ができる。古代の書物に見立てた鉄板や、妖精に見えるよう設計された照明ユニット、木の幹などの自然の要素に投影されるプロジェクションマッピングなど、すべての要素が「FORESTA LUMINA」のためにデザインされている。森の中の自然、吊り橋などの設備とマルチメディアのインスタレーションがシームレスにまとめ上げられ、子どもも大人も楽しむことのできる物語空間がつくられている。
審査コメント(齋藤精一)
「FORESTA LUMINA」は、まったく人を惹き付けなかった森をコンテンツ化し、多くの人を呼び込むことで場所の美しさやコンテクストを伝えることのできる素晴らしい施策である。現在、全世界にこのような演出をすることで場所をコンテンツ化する試みは広がっている。本作はそのオリジネーターとして、映像や光の表現が場所にもたらす価値を再構築し、既存概念を覆した“ゲームチェンジャー”的な作品といえる。日本国内でも行政や地方自治体の方々に「FORESTA LUMINA」はよく知られていて、このようなコンテンツの力による場所のエンターテインメント化、地方創生の文脈も含めた観光地化の施策がますます広がっていくことは明らかである。映像や光などのテクノロジーの使い方・体験デザイン・シナリオなど、すべてにおいて非常に洗練されたデザインがなされている部分を高く評価した。
INDUSTRIAL JP
[映像・音響作品]
INDUSTRIAL JP
INDUSTRIAL JP<br />[映像・音響作品]© 2018 INDUSTRIAL JP
作品コメント(一部抜粋)
日本の各地に点在する町工場内の音のフィールドレコーディング、工作機械が稼働する映像をサンプリングし、再編集によって楽曲化・ミュージックビデオ化して配信する音楽レーベル。バネやネジなどを製作する工場と多くのミュージシャンがコラボレーションし、アナログな工作機械の稼動音をクラブミュージックに仕上げ、2018年3月までに7作品がリリースされている。響き渡る機械の動作音と油に包まれながら動き光る工作機械は一定のリズムを刻み続け、それが美しい音と映像となって表現される。レーベル設立のきっかけは、グローバル化による国内産業縮小の影響を強く感じたことだという。日本の町工場の魅力を発信し、国内の製造業を盛り上げる一助となることを目指している。
審査コメント(佐藤直樹)(一部抜粋)
工場の技術力の高さと同時に存在する芸術的な美しさを、直感として伝えることに成功している。結果、七つの工場の魅力がこれまでにはないかたちで届けられることになった。そして音楽。工場で採取した音を使った7人のミュージシャンの楽曲が揃い、極めてユニークなクロスメディアのレーベルとなった。工場の魅力は、それ自体がオリジナリティを持った映像の無言の説得力によっても伝わったが、キャプション、インタビューなどの構成の点でも優れている。エンターテインメント/ドキュメント、アドバタイジング/エディトリアルといったカテゴリーも横断しており、さまざまな専門性を出会わせるかたちで、複層的かつ丁寧につくられている。内容と形式の両面で、変化しつつある時代の象徴性が高いレベルで集約されているように思われた。
PaintsChainer
[ウェブ]
米辻泰山
PaintsChainer<br />[ウェブ]© 2017- Preferred Networks, inc.
作品コメント(一部抜粋)
アップロードした線画をAIが自動着色してくれるウェブアプリケーション。着色のテイストは淡く柔らかい階調の「たんぽぽ」、ムラのないグラデーションで着色する「さつき」、強めの階調にハイライトと陰影が出る「かんな」という擬人化された3種のAIから選ぶことができる。自動着色の後には任意の範囲に彩色の指示をすることで、より自分の意図に沿った色調へ変えることも可能。また、鉛筆画などのラフな絵を線画にしてくれる機能も用意されているので、例えばノートに描いた絵を撮影し、その写真を線画にして着色するといった作業も実現できる。プロ、アマチュアを問わずイラストやマンガの制作手法に大きな変化を与えるサービスであり、公開後は世界中からアクセスが集まり数日で100万アクセスを達成した。開発者の米辻泰山はニューラルネットワークを使用して画像生成を行うアルゴリズムDCGANを応用して本サービスを制作。
審査コメント(中川大地)(一部抜粋)
言うまでもなく、日本のコンテンツ産業の強みの土壌となっているのが、独自進化を遂げたマンガ・アニメ的な絵柄の様式性に依拠した同人創作の文化だ。その厖大な蓄積を教師データに「それっぽい絵」のパターンをAIに学ばせ、自動着色を可能にする支援プラットフォームを、誰もが利用可能なウェブサービスとして提供した意義は大きい。日本マンガが歴史的にモノクロ中心の出版事情下で発展したこともあり、アマチュアのイラスト描きにおいて「塗り」は最も高いハードルの一つ。その工程を手助けすることで〈作品〉制作に資するのはもちろん、〈遊び〉に近い落描きであっても、ひとまずのビジュアル体裁を得、コミュニケーション表現としての生命を帯びうる点が、現時点における本サービスの白眉だろう。
Pechat
[ガジェット]
「Pechat」開発チーム(代表:小野直紀)
Pechat<br />[ガジェット]
作品コメント
ぬいぐるみに取りつけるボタン型スピーカー。専用アプリを操作することで、子育てを支援するさまざまな機能を持たせることができる。ボタンは糸で縫い付けたり紐で引っ掛けたりして任意のぬいぐるみに取り付け、吹き込んだセリフをかわいい声に変換して発声するほか、自動で会話したり、歌ったり、物語を読み聞かせることができる。子どもにとって特別な存在であるぬいぐるみを、子育ての新しいインターフェースに変える製品である。泣き声検知機能、泣きやみ・おやすみ音楽機能などのあかちゃんモードや英語アプリもあり、アプリを拡張することで使い方が広がる。製品発表後、国内だけで10以上のテレビ番組、100以上のメディアで取り上げられるなど、高い注目を集めて発売当日には品切れになる店舗が続出した。発売以降もユーザー数は増え続けており、日本中に子育ての新しい風景を広げている。
審査コメント(齋藤)(一部抜粋)
「Pechat」はプロトタイピングから発信しはじめ、クラウドファンディングでも人気が出た日本のスタートアップシーンから出てきた象徴的なプロダクトだという強い印象がある。IoTの創世記は比較的家電などの電化製品が多かったが、「Pechat」は教育・知育系にしっかりと設計された経験デザインを取り入れているところが非常に素晴らしく、誰しもが子どもの時に抱いたぬいぐるみのような“モノ”が喋るという夢を本作は実現してくれた。プロダクト・インターフェイス・経験デザインのすべてにおいて隅々まで行き届いたデザインがなされており、これからの親と子どもの新しいコミュニケーションの形を提示してくれた時代を象徴する作品である。

新人賞

盲目の魚 -The Blind Fish-
[映像・音響作品]
石川泰昭、ミカヅキフタツ、Keishi Kondo
盲目の魚 -The Blind Fish-<br />[映像・音響作品]
作品コメント
音楽家の石川泰昭が制作した曲と「いとまとあやこ」の平井亜矢子によるボーカルをバックに、木彫あやつり人形師のミカヅキフタツが製作した木彫の魚のマリオネットが、草木の中を泳ぐように動く映像作品。Keishi Kondoによる映像は、背景のぼかしや上方からのライティング、淡い色調の調整により、近所の公園にありそうな風景を水中のように見せる。魚は胸びれや尾びれなど分割されたパーツが巧みに動かされて浮遊感が表現される。また木製の鱗の質感など、思わず触れたくなるような本物の木ならではの存在感がカメラに写し取られている。楽曲、映像、彫像、そして操る手までを一つの作品に盛り込み、その総体が見るものに詩的な情感を与える作品。
審査コメント(佐藤)
「木彫りのマリオネット」は古くからあるが、それがとても新しいものとして目に映った。様式に依存しない表現の新鮮さという、芸術的要素の基本に立ち返らされた。高まる情報処理能力とともに進化し続けるCGのリアル追求とはまた異なる感触、メディアアートとエンターテインメントの関係性についての論議が喚起された。歌や音楽を含む映像作品としては既存の表現様式の範囲内にある印象で、演出をめぐる見解は分かれたが、現在のメディア環境の中でプリミティブな創作の魅力を伝えようとするチャレンジに対する評価の点で意見は一致した。
Dust
[空間表現]
Mária JÚDOVÁ、Andrej BOLESLAVSKÝ(スロバキア)
Dust<br />[空間表現]© 2017 Mária JÚDOVÁ、Andrej BOLESLAVSKÝ
作品コメント
DustはVR(バーチャル・リアリティ)によって、空間を漂う不朽の粒子という新たな視点からコンテンポラリーダンスを鑑賞し、体験するプロジェクト。VRヘッドセットを装着した観客は、対象を立体的に記録するボリュメトリックキャプチャリング技術によってつくられたバーチャル・リアリティ環境に身を置くことで、ダンサーを間近に感じながら視覚的・聴覚的なストーリーを鑑賞する。結果として、ダンサーが踊っている場所からの鑑賞という、今までにない視点からコンテンポラリーダンス作品を体験することができる。
審査コメント(工藤健志)
現実の疑似再現ではなく、視覚を超越したもう一つの世界を描出するためにVR技術を用いた作品。宇宙を構成する粒子に着想を得たという本作は、ダンスという「動き」を軸に身体と空間の境界を溶解させ、その存在と関係性を時間という概念のなかに再構築していく試みと解釈できよう。触覚性が欠落するVRの弱点を逆手に取り、体験者もまた自らの身体から解放され、時空を漂う粒子へと一体化していく。ダンサーや各種アーキテクチャーの表現もユニークで、いわゆる一般的なVRの「没入感」とは異なる新鮮な印象を与えてくれる作品である。
MetaLimbs
[ガジェット]
佐々木智也、MHD Yamen SARAIJI(日本、シリア)
MetaLimbs<br />[ガジェット]
作品コメント
2本のロボットアームを装着し、足の動きをマッピングすることで、自在に操ることができる「新たな腕」を増やす作品。ロボットアームは肩から背負い、左右の足の甲と膝に取り付けられたセンサーが脚の動きをトラッキングしてアームを動かし、足の指を動かすとロボットハンドも動く。ロボットハンドには触覚センサーが取り付けられ、ロボットハンドの感覚が足にフィードバックされる。従来の義手や義足のように身体感覚を補うだけでなく、アームの先にハンダゴテなどを付け替えることによって、人間の身体能力を超越した機能をも付与できる。テクノロジーのトレンドが補綴技術から人間拡張技術へと移り変わるなかで、人間の身体感覚が技術によってどう変化するかを提起する。
審査コメント(遠藤)
人間が本来持っている能力を超える道具は、機能を最適化して操作する、あるいは機能を補完して受動的に動作するイメージが強い。しかし「MetaLimbs」は、足と連動させるというユニークな発想で、ユニバーサルな機能でありながら能動的に動作させることができる。足での操作に慣れれば、「MetaLimbs」自体に身体所有感を感じると想像すると、新たな身体機能獲得への可能性が大きく広がる。今後の展開と製品化に期待したい。
アニメーション部門

大賞

この世界の片隅に
[劇場アニメーション]
片渕須直
この世界の片隅に<br />[劇場アニメーション]© Fumiyo Kouno、Futabasha、Konosekai no katasumini Project
作品コメント(一部抜粋)
こうの史代の同名マンガ(2008-09)を原作に、「マイマイ新子と千年の魔法」(09)で監督・脚本を務めた片渕須直が6年の歳月をかけて劇場アニメーション化した作品。2015年に開始したクラウドファンディングで3000人以上のサポーターから制作資金の一部を集め完成した。2016年11月の公開以降、口コミやSNSで評判が広まり、2018年に入っても上映が続くロングラン作品となっている。主人公のすずは昭和19(1944)年、18歳で広島の呉に嫁ぎ、あらゆる物資が欠乏していくなかでも、一家の主婦として生活に工夫を凝らす。だが、戦争は進み、日本海軍の拠点だった呉は、幾度もの空襲に襲われる。本作には、大事に思っていた身近なものを次々と奪われながらも、前向きに日々の営みを続けるすずと、彼女を取り巻く人々が描き出される。
審査コメント(横田正夫)(一部抜粋)
「この世界の片隅に」は、刺激的で動きの激しいアニメーションの多い中、日常動作に動きの美しさを見出している点で特筆すべき作品と思われる。肩に掛かる荷物の重さや、持ち上げる時の動作のように、日常の当たり前の、普通ならば何気なく見過ごしてしまうものに、その動作を行う個人の人格の表れを見せてくれている。そうした人格を持つ個人が、実は数多く存在し、日常のこまごまとしたことに、ささやかな喜びを見出している。食事の用意から近所付き合いなど、日常がごく平凡に過ぎてゆくことが大事なのだと教えてくれる。この教えが切実なものと感じられるのは、背後に戦争という現実があるからでもある。しかし翻ってみると、われわれの周辺には、大きな災害がいきなり襲い掛かってくることもある。
夜明け告げるルーのうた
[劇場アニメーション]
湯浅政明
夜明け告げるルーのうた<br />[劇場アニメーション]© 2017 Lu Film partners
作品コメント(一部抜粋)
「マインド・ゲーム」(2004)、「四畳半神話大系」(10)、「ピンポン THE ANIMATION」(14)などで知られる湯浅政明による、全編フラッシュアニメーションを用いたオリジナル劇場アニメーション。両親の離婚で寂れた漁港の町・日無町に引っ越してきた中学生の少年・カイは、父や母への複雑な想いを口に出せず、鬱屈した気持ちを抱えながら学校生活を送っていた。カイの唯一の心の拠り所は、自ら作曲した音楽をネットにアップすることだった。ある日、クラスメイトにバンドに誘われたカイが練習場所の人魚島に行くと、人魚の少女・ルーが現れた。楽しそうに歌い、無邪気に踊るルーと出会ったカイや町の人々は、少しずつ自分の気持ちを口に出せるようになっていく。しかし、日無町では古来より人魚は災いをもたらす存在とされ、ルーと町の住人たちとの間には溝が生じてしまう。
審査コメント(宇田鋼之介)(一部抜粋)
閉塞感にまみれた環境のなかで、好きなこと、やりたいことを見つけ出していくというテーマはオーソドックスなものではあるが、時代に逆行するようなシンプルな絵とデフォルメの効いたやわらかい動きで軽快に魅せてくれている。純粋の塊のようなルーと、それぞれ登場人物の抱えている問題や希望が過不足なく描かれていて、それが物語にリアリティを持たせているため、ファンタジー要素もすんなりと受け入れることができる。まだ見ぬ未来を望む若者、現実を受け入れつつ変化しようとする大人、そして過去にこだわる老人たちの対比は見事だった。この手の作品は若者の描写に終始しがちだが、町の大人・老人たちまでキチンと描かれている点は、湯浅監督の気配りとテーマへの一貫したこだわりを感じるとともに、作品への愛情も感じられて観終わった後がとても気持ちよかった。カイの心の象徴としてのルーとお陰岩。

優秀賞

ハルモニア feat. Makoto
[短編アニメーション]
大谷たらふ
ハルモニア feat. Makoto<br />[短編アニメーション]
作品コメント(一部抜粋)
ダンスミュージックやゲーム音楽の影響を受けながら、音楽活動を続けてきたyuichi NAGAOがリリースした楽曲のミュージックビデオ作品。映像を制作した大谷たらふは、波の音から始まる曲を聴いた時に感じた幻想と現実の間で揺らぐような気分から、少女と布団のダンスというユニークなモチーフを発想したという。本来CGを用いて行うエフェクトも、あえて1カットずつ手で描かれたアニメーションには、色鉛筆や水彩絵具のような温もりのあるアナログのタッチが活かされている。「幻想の世界での休息」というコンセプトによって作られた映像には音の波形を思わせる曲線が次々と現れ、気泡のように生まれては消えるカラフルなイメージと、躍動感あふれる少女の滑らかな動きによって、見る者を最後まで釘づけにする。大谷たらふはテレビ、プロモーションビデオ、CMや展示用映像の制作者として着実にキャリアを重ねてきた。
審査コメント(木船徳光)(一部抜粋)
傑作である。抽象的なメタモルフォーゼの中に具象的な物がときどき現れる展開が、気持ちのよいアニメーションになっている。エフェクトも含めすべて手描きで表現されたアニメーションが素晴らしく、波の音と抽象画像にも見える構図の波から始まり、それが自由に変形するエフェクトアニメーションに変わっていく展開も気持ちよく、不意に現れ繰り返し出現する人物と布団のイメージが夢から覚めそうで覚めない微睡みの時間を表している。それが徐々に理解できるような構成で、次々に変化していく布団の動きによってそれ自体がキャラクターとして表されていくのも楽しい。
COCOLORS
[オリジナルビデオアニメーション]
「COCOLORS」制作チーム(代表:横嶋俊久)
COCOLORS<br />[オリジナルビデオアニメーション]© Kamikazedouga
作品コメント(一部抜粋)
有害なバクテリアを含んだ灰から逃れるために、人類がスーツとマスクをしながら地下で生活する世界を舞台にしたアニメーション作品。嘘ばかりつく少年アキと、楽器だけで会話する少年フユの、マスクで表情が見えない中に生まれるコミュニケーションを軸にして地下世界に訪れる危機が描かれる。監督と脚本を担当した横嶋俊久は、マスクで顔が見えないという設定を生かし、身ぶり手ぶりや走る、跳ねるといった動きによって、それぞれのキャラクターの性格や心情を描写した。制作スタジオは、3DCGによるアニメーション制作で近年高い評価を得る神風動画。木版画を思わせるフラットな描写ながらも、世界観を余すことなく表現する絵づくりが目を引く。
審査コメント(西久保瑞穂)(一部抜粋)
この映画は主人公たちの顔を見ることができない。これがこの映画の肝である。生存のため潜水ヘルメット型のマスクをつねに装着した住人たちの物語は、地下の狭い世界で展開され、観客は常に表情の見えない主人公達を見る事になる。そしてこのマスクが物語を覆う閉塞感と見事にシンクロしており、観る者の想像力を掻き立てる優れた映画である。閉塞感の象徴としてのマスク、そのマスクを外すことは閉塞感から解き放たれることだ。そしてそれは同時に生命の停止を意味する。主人公はマスクを外し灰色の空を見た友に言う。「まだどんな色でものせられる」「空の色はここ(心)にある」。決して絶望だけではなく希望も残して物語は終わる。この映画には時代を象徴する閉塞感と同時に、モノトーンの世界に色を重ねる少年の地上への憧れが重層的に描かれ、表現手法とテーマが見事に融合している。
Negative Space
KUWAHATA Ru、Max PORTER(日本、米国)
Negative Space© 2017 IKKI Films、Manuel Cam Studio Photo: 2017 IKKI Films、Manuel Cam Studio
作品コメント
出張の多い父親とその息子のあいだの、鞄を通じた交流の物語。スーツケースという小さな空間へ、いかに効率的に荷物を詰め込むかが、遠く離れることの多い親子にとっての密なコミュニケーションのかたちとなっていた。少年は大人になり、かつてのその記憶を思い出す。アメリカとヨーロッパを拠点に活躍する桑畑かほるとマックス・ポーターのコンビ「Tiny Inventions」が、フランスのプロダクション会社、IKKI FILMSとManuel Cam Studioと共に制作した人形アニメーション作品。アメリカの詩人・小説家であるロン・コージの散文詩「NEGATIVE SPACE」を原作として、そこにパイロットゆえに旅の多かった桑畑自身の父との思い出が混じり合う。その結果、あらゆる世代の心に染みわたり、誰もが自分自身の親子関係について思いを馳せるような、余韻と叙情に溢れた物語が完成した。
審査コメント(森野和馬)(一部抜粋)
作品の冒頭でカバンの中身が俯瞰に並べられていくさま、この絵面で作品に引き込まれた。良い作品には印象的なカットが存在するが、この1カットで作品の質、監督の力量が見て取れるようであった。別の場面では、シャツやシューズ、ベルトたちが生き物のような躍動感でカバンに収まっていくさまが描き出され、静物が命を吹き込まれ動き出す輝き、そんなアニメーションの魅力の原点が画面に創出され、笑みが自然とこみ上げてきた。デザインも秀逸であり、キャラクターの表情、やさしいフォルム、デフォルメされた車や建築物、どれもセンスを感じさせる。ストーリーはシンプルであるが、場面転換などで用いるさまざまなアイディアは、ハッとするような流れをつくり出している。全体のやわらかい色彩も美しく、品のよいムードを醸し出す。鑑賞後も温かい気持ちとともに、上質な作品に出会えた喜びを感じさせた。

新人賞

舟を編む
[テレビアニメーション]
黒柳トシマサ
舟を編む<br />[テレビアニメーション]© Genbu Dictionary Editorial Dept.
作品コメント
三浦しをんの同名小説を原作に、黒柳トシマサが丁寧な映像表現でアニメーション化した。玄武書房の中型国語辞典「大渡海」編纂の長い道のりを描く。口下手だが言葉への鋭い感性を備えた馬締光也と、言葉に入り込むのは苦手だがコミュニケーション能力の高い西岡正志。周辺の人間模様を交えながら二人が成長していく姿を中心に捉えることで、複数の媒体で展開されている本作の世界観を守りつつ人物像を掘り下げることに成功している。おびただしい活字があふれる「言葉の海」や、静かに回転し続ける観覧車のイメージは、音声や背景を含めた画面全体で主人公たちの心情を伝えるアニメーションならではの印象的なシーンをつくっている。
審査コメント(西久保)
奇をてらわず正攻法で丁寧な演出が本屋大賞受賞の原作のよさを引き出している。辞書づくりを通した主人公たちの成長と友情が心地よく、何より人間の機微が上手く描かれている。ゆったりした作風に合った作画と美術、パンフォーカスのすっきりした絵づくり、控えめに入るイメージショット、心地よい薀蓄などが、言葉を紡ぐ温もりのある物語を支える要素となっている。なお原作や映画版に比べるとキャラが薄めで熱さも控えめだが、これもスタイルとなってテレビ版独自の世界観を確立している。破天荒作品も好きだが正統派作品の清々しさを感じた。
The First Thunder
[短編アニメーション]
Anastasia MELIKHOVA(ロシア)
The First Thunder<br />[短編アニメーション]© Ltd "Studio "Ural-Cinema"
作品コメント
自然やキャラクターたちによるミュージカル・ファンタジー。冬眠からの目覚めや春の訪れを描くとともに、美と冒険でいっぱいの「世界」へと飛び出していく道のりを描いた物語である。第20回のアニメーション部門で優秀賞を受賞した「Among the Black Waves」など、文化庁メディア芸術祭の常連となりつつあるウラル国立美術大学出身の作家陣がスタジオ・ウラル=シネマと組んでつくり出された卒業制作プロジェクト。古きよきミュージカル・カートゥーンの良質な伝統をロシア風に蘇らせたようなこの作品は、コミカルなオーケストラの演奏、滴るような水彩での作画、水面のように揺らめくメタモルフォーゼのアニメーションを組み合わせることで、春の訪れを、子どもの視点も交えつつ体感させる。
審査コメント(森野)
クラシカルな音楽とアニメーションという組み合わせはディズニーの映画「ファンタジア」(1940)を思い出させた。この作品はそんな過去の名作を感じさせるほど、サウンドと映像が見事に絡み合いワクワクするような作品に仕上がっていた。メタモルフォーゼの気持ちよさ、ジャンプ感のある動き、三次元を動き回る自由さ、どれも手描きアニメーション独特の魅力を備えていた。25歳という若い監督作品ならではのつくる楽しさが画面にあふれ、躍動感あるキラキラした仕上がりの作品である。今後の飛躍も楽しみであり次回作も期待したい。
Yin
[短編アニメーション]
Nicolas FONG(フランス)
Yin<br />[短編アニメーション]© 2017 Zorobabel Photo: 2017 Zorobabel
作品コメント
神は一人ぼっちで、他人の幸せが妬ましかった。神が息を吐きだし、分子の渦をつくり出すと、平面的な円盤が現れた。その中心では軸が回転し、立体的な山ができあがる。神はその世界を完成させんがため、さまざまな要素を置いていく。そのなかで、陰と陽=女性と男性が生まれた。切り離されて誕生した二人はなんとかして会おうとするが、神はさまざまな物理的異常や錯視で世界を満たし、陰と陽の出会いを阻む。作者は数々の作品でアニメーターとして活躍、プライベートでも作品を積極的に発信してきた。本作ではベルギーの名門スタジオ「ゾロバベル」と組み、平面的なグラフィックの特性を縦横無尽に活用することで、世界創造についての現代的な神話を巧みに表現した。
審査コメント(横田)
周囲には2体が合体している神々ばかりなのに、自分だけが単身と気づく。その神が、陰陽の個体をつくり出し、それを半分に切り男女の二つにするが、両者は互いに引き寄せ合う。こうした表現は、独り孤独のなか、多くを想像世界に生きる、閉じこもりの願望を象徴しているようにも見える。その願望は、男女が引き寄せ合うものとして、しつこく繰り返される。そして合体した男女は、地球の形となって、神の周りを回転しはじめる。地球は男女が引き寄せ合うように神が妄想してつくられた、という新しい神話の誕生である。
マンガ部門

大賞

ねぇ、ママ
池辺 葵
ねぇ、ママ© Aoi Ikebe(AKITASHOTEN) 2017
作品コメント(一部抜粋)
母の残した洋裁店でその人だけの洋服を作り続ける「繕い裁つ人」(2009-15)、26歳の独身女性が運命の物件を探す「プリンセスメゾン」(14-)など、これまでさまざまな女性の生き方を描いてきた作者の短編集。本作には巣立ってゆく息子を持つ母親の思いが空回りする「きらきらと雨」、修道院に暮らす二人の少女の物語「ザザetヤニク」、骨董屋の店主をしている独り身のおばあさんと少女の交流を描いた「夕焼けカーニバル」など、「母」をモチーフにした七つの物語が収録されている。本書には実際の家族としての母だけでなく、修道士、家政婦、旅先で出会った老姉妹、近所のおばあさん、ママになることに憧れる少女など、誰かの「母」的な存在となる人物が登場する。彼女たちはみな理想の母親像ではなく、愚直で、凡庸で、時に狡猾であるが、それでも優しく温かな愛を持った存在として描かれる。
審査コメント(門倉紫麻)(一部抜粋)
甘やかなものを想起させるタイトルだが、本作で描かれるのは、母あるいは子の不在だ。これまでも“一人であること”を描き続けてきた池辺は、それを決して不幸だとは言わない。当人にしかわからない、そこにある(これから訪れる)幸せを示す。そして母たち(大人たちと言い換えてもいい)に、“あなたは一人でも大丈夫だ”と称え、力強いエールを送る。子どもたちへのエールは少し違っている。母の不在を抱える子には、他人の大人を寄り添わせるのだ。作中で、日頃から「人は誰もいずれ一人になるんだ」と話す老女は、母に出奔された少女が施設へと入る直前、彼女を抱きしめ、こう言う。「お前はなんていとしい子だ」。“あなたは一人だけれど、一人ではない” ─ 池辺の、子どもへのあたたかなまなざしを象徴するような美しいシーンだ。

優秀賞

銃座のウルナ
伊図 透
銃座のウルナ© IZU Toru
作品コメント
一年のうち、わずかしか晴れることのない風雪にまみれる島、リズル。そこに世界の覇権を握る国家レズモアの女性狙撃手、ウルナ・トロップ・ヨンクが赴任することから物語は始まる。島は歯茎がそのまま歩いているような異形の蛮族ヅードの住む地と定められており、ウルナの仕事は、雪の中から襲い来る彼らと戦うことであった。しかし、ウルナと同じく基地に赴任する生物研究者・ラトフマはヅードと秘密裏に通じていた。密会の現場の目撃者となったウルナは、ヅードのグロテスクな姿の秘密と、レズモアの持つ国家的な陰謀に、極限の地での戦いを通じて近づいていく。これまで「ミツバチのキス」(2008-09)、「エイス」(12-14)などで、熱狂的な人気を獲得してきた作者によるSF作品。白い雪の豊かな質感や、襲いかかるヅードたちの迫力など異世界の戦場が、高い作画技術によって活写されており、読む者を強く引き込む。
審査コメント(松田洋子)
人間を殺すのは難しい。物理的にもだが、心安らかに眠るために美しい言い訳が必要だ。「いっそ相手を人間じゃなくせば簡単じゃないか」そんな実験を思いついた者も人間ではないモノになっているだろう。世界を簡単にさせたしわ寄せは辺境でどす黒くたまっていく。故郷を守るためという女と、故郷を捨てるためという女がともに戦う。どちらにしても「国家」が作ってくれた物語に乗っかっているのだ。いつか自分の物語だと自覚した世界でウルナが銃を撃つ日が来るのだろうか。その相手は何なのだろうか。伊図透のマンガには世界観がある。世界を作ってはいるが神の視点では見ていない。どこまでも疑わしい「真実」を求め、世界の地下も塔の上も泥の中も這いずり回る捜索こそが創作なのだと思う。このマンガはその世界での戦争の証言なのだ。これからも彼が見てきた世界を存分に見せてほしい。
ニュクスの角灯
高浜 寛
ニュクスの角灯© Kan Takahama、LEED Publishing
作品コメント
西洋文化の波が押し寄せる1878年(明治11年)の長崎で、西南戦争で親を亡くし、独り身となった少女・美世は、道具屋「蛮」で奉公を始める。外国人とのハーフである店主・小浦百年(こうらももとし)がパリ万博で仕入れてきたドレスやミシン、双眼鏡、ブーツといった道具は、美世の好奇心を掻き立てた。美世は幼いころから持つ、モノの過去と未来の持ち主がわかる不思議な力を使いながら、仕事を通じて経験を重ねていく。百年に対して恋心に似た感情を覚え始める美世の変化や、明かされていく百年の過去を中心に、商人や遊女たちで賑わう長崎に訪れた新しい時代を瑞々しく描く。綿密な考証をもとに、当時の華やかな時代背景とともに事物が描き込まれ、ミニコラムとして作中に登場したアンティークに関する豆知識が挟まれるなど、作者の持つ知見が生かされ、作品の実在感が高められている。
審査コメント(みなもと太郎)
ドレス、チョコレート、ミシン、セーラー服、幻灯機……明治の初め、最先端の品々に触れ、主人公の「美世」が成長する姿を描く。熊本在住の作者は、これまで一貫して「手厳しい、容赦ない現実」を突きつける「問題作」を優れた筆致で描き続け、日本よりフランスなどで高く評価されてきた実力派。本作はその彼女が新たな境地から挑んだ「ロマンチックな雰囲気、華やかさ」を前面に漂わせてはいるが、読み進むうちに、やはり単なる「ヒロインの成長物語」ではなく、苛酷な現実が次々と読者の前に現れる。しかし悲壮感に溺れることはなく、全編を通じて響いてくるのは「現実から目を背けてはいけない」というメッセージと「大丈夫、おいで」という大人たちの遠い声だ。「世界は広く、自分はまだ何も知らない」ことが脅威ではなく素直な希望として描かれる。本作の大きな魅力がそこにある。
夜の眼は千でございます
上野顕太郎
夜の眼は千でございます© Kentaro Ueno 2016
作品コメント
1998年より「月刊コミックビーム」(KADOKA-WA)で連載されている同誌最長連載のギャグ読切シリーズの単行本化作品。名作マンガや映画を題材に、高座の噺家の語りをそのままマンガにした「落語マンガ」のシリーズをはじめ、さまざまな芸術家の画風で描いた交通標識が実際に現れるナンセンスコメディや、かるた、法廷画家、テレビショッピング、シューベルトの「魔王」をネタにしたコメディ、さらに水木しげる、生賴範義、望月三起也らの追悼企画パロディなど、さまざまな趣向と技巧を凝らした読切作品、全42話が収録されている。作者は1983年のデビュー以来、「帽子男は眠れない」(1992)「ひまあり」(2000-02)など、緻密に描き込まれた作画と、不条理でシュールなギャグを得意とし、本作においても、渾身の力で放たれる、たたみかけるようなギャグ・パロディの連続に、独特の構成力・演出力が生かされている。
審査コメント(古永真一)(一部抜粋)
この作品は単にギャグマンガとして優れているだけでなく、マンガ表現の多様性や可能性についても思わぬ角度から照らし出す楽しさやたくらみに満ちている。現代文学でいえばレイモンド・フェダマンの「嫌ならやめとけ」という小説を彷彿とさせるような迫力や遊び心がある。ページ数も付されることなく、ラップの歌詞のような饒舌体の文章が怒濤のごとく何百ページも続く奇書だが、そこでは小説という形はもはやほとんど原形をとどめておらず、ひたすら文学に関わる省察が果てしなく繰り広げられる。上野顕太郎も落語の語りを融通無碍に使いこなしながら、上野ならではの愉快でナンセンスな世界へと読者を誘っていく。
AIの遺電子
山田胡瓜
AIの遺電子© Yamada Kyuuri(Akitashoten) 2015
作品コメント
国民の1割がAIを持つヒューマノイドとなった近未来を舞台に、ロボットやヒューマノイドの問題を「治療」する専門医を描くSFオムニバス。主人公の医師・須堂光は、「モッガディート」という裏の名前を持ち、時には秘密裏に違法な施術も請け負う。例えば、本来違法であるヒューマノイドのデータのバックアップを取る際、妻をコンピュータウイルスに感染させてしまった男に対し、須堂はバックアップデータによって記憶を書き換える施術を提案する。バックアップデータによって換えられた存在は、果たしてそれまでと同じと言えるだろうか。人間と非人間の差異のなかに生まれる揺らぎという、古くから多くのSFで扱われてきたテーマを、医師の視点から描く。急速にAIに注目が集まる現代において、人間や社会の在り方についての考察を促す作品。作者はIT分野の元記者であり、本作にもその知識が生かされている。
審査コメント(白井弓子)
SFである。と同時に人生の機微を描いたドラマである。その両方がバラバラになることなく、必然性を持って結び付いている。それを1話完結の週刊連載でやりとげたことがすさまじい。ネタ切れになりそうなものだが、「巻を重ねたほうが面白くなる」と感心する委員もいた。多くの委員に支持され受賞となった。この作品では毎回さまざまな社会問題やドメスティックな問題を取り上げているが、主義主張から少し距離をとった大人のネームが、読者の多様な読み取りを可能にしている。AIのシンギュラリティを越えたところにある未来予想図として読むこともできるし、本来可能な機能を制限されて「人間らしく」生きることを義務づけられたヒューマノイドの姿に、社会の一部として生きる我々人間の悲しみを見ることもできる。広く読まれてよいSFマンガだと思う。

新人賞

甘木唯子のツノと愛
久野遥子
甘木唯子のツノと愛© KUNO Yoko 2017
作品コメント
「Airy Me」(2013)や「花とアリス殺人事件」(15)など、アニメーション作家としても活躍する作者によるマンガ処女作品集。学校生活で人と意見を合わせることへの疑問を提示する「透明人間」、少女でいることの価値に抗う「IDOL」、着ぐるみを着ることで愛を求める「へび苺」、そしてツノの生えた少女と兄の物語「甘木唯子のツノと愛」(全3話)の4編が収録されている。「ちいさなおんな(少女)」たちを描く本作では、アニメーション作家としての経験が生かされた、独特な遠近法やカメラワークが用いられており、作者のアニメーション作品からも繋がるテーマとして、形態の変容(=メタモルフォーゼ)が各話に頻出する。
審査コメント(門倉)
まず目を奪われるのは絵。アニメーション作家としても活動しているだけあって、「描きたい」と思う構図、背景、そして人物の動きがそのまま紙に映し出されているように見え、マンガを読むことの痛快さを味わわせてくれる。少年少女の心の揺れ、という定番ともいえるテーマを、恋する少女の「着ぐるみ」を着る少年、ツノのある少女など著者ならではのファンタジックな切り口で見せていく。今は絵がやや先行しているように思えるが、今後テーマとその見せ方がさらに深化し、巧みな絵と合わさったとき、どんな世界を見せてくれるのかが楽しみだ。
バクちゃん
[ウェブマンガ]
増村十七
バクちゃん<br />[ウェブマンガ]© masumura17 Photo: masumura17
作品コメント
バクの星から地球に移民としてやってきたバクの子ども・バクちゃんは、名古屋から東京に下宿しにきた人間の女の子・花とともに暮らすこととなる。バクちゃんは初めての地球で、満員電車、書類を介した手続き、食文化などの違いに触れ、移民に差別的な言動をする人や厳しくあたる人にも出会う。しかし、花をはじめ移民に友好的な地球人や移民の友人たちに支えられ、明るくたくましく生きていく。カラフルでファンタジックな絵柄で描かれる本作には、作者のカナダでの移民経験が反映されており、心温まりつつも、無意識の暴力や同調圧力、土地に馴染むことの難しさなど、現実世界でも起こり得る移民の状況や心情が描かれ、社会への問いかけを含む冒険譚となっている。
審査コメント(白井弓子)
パステルカラーが印象的なメルヘンティックなマンガだと思って読んでいると、これが移民をテーマにしたマンガだとわかりはっとする。さまざまな理由で宇宙のあちこちから日本に集まった者たち、よるべない気持ち。厳しい現実と希望の間を、夢を食べるバクの子どもがつなぐ。夢がなければ子どもは生きられないのだ。たとえそこが生まれた「くに」でないとしても。大人としてはラストの、ほんの少し故郷の星に近づく望郷のシーンが忘れられない。
BEASTARS
板垣巴留
BEASTARS© itagaki paru(akitashoten) 2017
作品コメント
肉食動物と草食動物がともに暮らす全寮制のチェリートン学園。ある日、アルパカのテムが講義室で食殺される事件が起こる。疑いの目を向けられたのは肉食動物、中でもテムと仲の良かったオオカミのレゴシだった。肉食動物の草食動物を捕食したいという本能、草食動物の肉食動物への恐れと軽蔑、それを超えようとする理性がせめぎ合う。実在の動物の身体の特徴を保ちつつ、滑らかなタッチで時にコミカルに描かれる動物たちの青春群像劇であり、人間の社会にも横たわる共存の問題まで喚起させながら、深い読後感を与える作品。
審査コメント(古永)
動物を擬人化した作品は多いが、本作は寓話やファンタジーにとどまらない生々しさが読者を惹き付ける。新人離れした画力に加え、学園ドラマやミステリーの魅力もあるが、なんといっても設定が秀逸で、人間や現実社会について一歩引いて考えさせる作品に仕上がっている。ヒトは肉も野菜も食べる動物だが、動物的な攻撃衝動や性的な欲求を抑圧することで、動物の本能とは異なる欲望を抱え持つようになった。本作は、こんな身も蓋もない要約でも、物語的想像力を駆使して押し広げれば、かくもおもしろくなるというお手本のような作品である。
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