ユニバーサルホームデザインコンペ2013 「育てる家、育っていく家」50年の時間と家族と木造住宅

  • 建築・インテリア・エクステリア
  • 募集要項
  • 結果発表

入賞作品数:7点
主催:株式会社ユニバーサルホーム

※画像をクリックすると大きな画像をご覧になれます

最優秀賞

すき間風ハウス
「すき間風ハウス」

花巻裕子 田中義之(田中花巻事務所)

審査委員長講評

現代の戸建て住宅では、シェルターとしての性能は技術的に十分に実現できるようになっています。残されたテーマは、自然の風をどのように取り入れていくかということがこれからの大きな課題になっていくと思います。浮き上がった屋根が、風の通り道になっていて、負圧で風を引っ張り出す。「風の引き出し」が、とても重要なアイデアだと思います。
このプランは、コンペのテーマについても明快な回答を出しながら、明日にでも着工できるリアリティーを持っている。総合的なレベルの高さを評価しました。

ユニバーサルホーム賞

育てる庭、家族と地域をつなぐ
「育てる庭、家族と地域をつなぐ」

福富健司 山本 駿 水下竜也(工学院大学大学院)

審査委員長講評

明快なプランで好感が持てる案です。最優秀賞と拮抗したレベルにあると思いますが、建築としてのリアリティーがやや足りないように感じました。当コンペはとくに、そうですが、テーマへの回答を表現するだけではなくて、たとえば、大きな屋根が作り出すエネルギー効率とか、風の流れとか、建築としてのトータルなアイデアを含めてリアルに提案していけば、更に素晴らしいものになると思います。

クリナップ賞

たくさんの小さな空間と、ひとつの大きな空間
「たくさんの小さな空間と、ひとつの大きな空間」

牧野研造 北村拓也(牧野研造建築設計事務所)

審査委員長講評

家族のつながりを重視する一体空間と、プライバシーの確保に重きをおく個室化の関係は常に大きな問題です。住まいには、使い方を住人が自分自身で考える余地を残しておくことも、一方では大切であるということを、私は「箱の家007」の経験で学びました。要するに、建築家は、住まい方に過剰に介入すべきではないとも考えます。この案は、間仕切りを細かくしたことによる「不自由な中の自由」という提案であり、いろいろ考える契機になるのですが、難しい問題も含んでいると思います。逆説的であることが、逆にインパクトにつながったともいえるでしょう。

優秀賞

塀のない家
「塀のない家」

高石竜介

審査委員長講評

建築的には、非常にユニークで、印象に残る作品です。単身一世帯のための屋根にとどまらず、大きな屋根の下に複数の単身世帯があるという設定になっています。公共性や社会性のある展開をめざせば、更に面白い提案になる気がします。


[the nest site]HOUSE
「[the nest site]HOUSE」

高橋慶多(北海学園大学大学院)

審査委員長講評

この案は、学生たちのシェアハウスという設定になっていますが、私は、震災仮設住宅の住棟の並び方、「公共空間」を想起しました。住戸同志が向かい合って配置されるという形式を、うまく表現しています。それをさらに町全体に広げていこうという方向性も感じます。寒冷地ならではの提案であると感じました。この案の主張は、人間の「関係」が「育っていく」ということではないかと思います。


TUNE HOUSE
「TUNE HOUSE」

小見山陽介 堀田憲祐 aroso francisca 新谷尚史 山下嗣太 山本浩貴 藤巻芳貴(SHARISHARISHARI)

審査委員長講評

この案は、当コンペの条件を大きくはみ出した野心的な作品だと思います。扱っている変数が多く、テーマとしても非常に高度で、主張されたコンテンツがテンコ盛りなので、A2版に納めるのは難しくてよく分からない。A1版2枚くらいにプレゼンテーションすれば、もっと分かり易くなったかもしれません。それくらい内容豊富な案だと思います。本来は、最優秀賞でもいいくらいの中身なのですが、求められている表現量を超えてしまい、印象が薄くなってしまったことが非常に残念でした。


堆積する大黒柱
「堆積する大黒柱」

守屋真一 鈴木愛子(芝浦工業大学)

審査委員長講評

確かGA Japanの2000年の新年号に、編集長の二川幸夫さんとミサワホームの創業者、三沢千代治さんの対談が掲載されていました。その中で、三沢さんが「家というのは、屋根と子育てと納戸である。」と主張されていたことを、非常に印象深く記憶しています。
このプランを見て、改めてそれを想起しました。住宅の本質をとらえて、それを住宅の機能として昇華している。素晴らしい案だと評価できます。しかし、一方でこんなことも考えます。かつて山田太一の「岸辺のアルバム」というドラマがありました。ある家族の崩壊過程を描いたドラマですが、ドラマの最後に、実際にあった多摩川の洪水で、新築のマイホームが流され、最後に家族のアルバムだけが残るというものでした。たとえば、このように、「もの」がなくなってしまうと、最後に残るのは「記憶」しかない。それは、物理的な「もの」を超えていく。そのように感じることも、一方では大切かもしれません。