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2016/09/08 10:00
若者を考えるつどい 2015 エッセイ募集
文芸・コピー・論文
受賞作品数:232点(若者の部:127点/一般の部:105点)
主催:公益財団法人 勤労青少年躍進会、一般社団法人 日本勤労青少年団体協議会
※ここでは、若者の部では、厚生労働大臣賞と厚生労働省職業能力開発局長賞、一般の部では厚生労働大臣賞と公益財団法人勤労青少年躍進会 理事長賞の合計6点をご紹介します。
若者の部
厚生労働大臣賞
母の背中
上野万里子
テーマ
女性として頑張りたい仕事・働き方
作品内容(一部抜粋)
" 私には、働くうえで憧れる女性がいる。彼女は強く魅力的な女性で、かつ子供を心から愛している素晴らしい母親だ。働く業種こそ違えど、私はこの人の様になりたい、そしていつかこの人を越えてみたい、と思って毎日仕事をしている。私の憧れる女性とは、私の母だ。
「それじゃあね、万里子。いい子にしておうちで待っててね」
そういって母は小学生だった私の頭を撫でる。びしっとしたカッコいいスーツを着て、胸元には華やかなブローチ、キラキラした時計がはめられた左手の薬指に指輪はない。
私の母は友人と共に20代で小さなデザイン会社を立ち上げ、業種をコンサルタントに変えてからは一人で会社を経営していた。事業は軌道に乗り、母には町おこしをしたい自治体や産学連携を目指す企業や大学からの講演依頼が殺到した。こげ茶色の書類カバンと大きな真っ黒い旅行カバンを担いで、母は日本中を飛び回った。一年に百回も飛行機に乗っていた年があったほどだ。
…"
厚生労働省職業能力開発局長賞
メッセージ
阿部喬子
テーマ
仕事・職場・転職から学んだこと
作品内容(一部抜粋)
" 「あなたとは、病院じゃない場所で会いたかったわ」
風がよく通る、病棟の隅っこの個室で、少しはにかんだような笑顔で彼女は言った。末期癌の50代の女性。私は彼女の担当看護師だった。病室での他愛のないおしゃべりの時間を気に入った様子で、技術も知識も未熟な若い看護師に最高の言葉をくれた。
告知も全て受け入れ、少しずつ変化する自分の体調からも、十分その時が近いことを感じていたはずだったが、いつも気丈で決して弱音を吐くことはなかった。ベッドサイドはいつもきれいに整頓されていて、ピンクの花柄のクッションを見る度に、まるで彼女の家のリビングに招かれているかのような錯覚に陥りそうだった。
次第に病状は進行し、いつものおしゃべりは私から投げかける言葉だけになった。調子が比較的良い頃は、病室の中でゆっくりであれば自由に動くことができていたが、生活のすべてがベッドの上で行なわれるようになった。
…"
一般の部
厚生労働大臣賞
民間企業研修から学んだこと
後藤喜朗
テーマ
仕事・職場・転職から学んだこと
作品内容(一部抜粋)
" 「スーパーで1年間の民間研修を命ずる」中学校の英語教師をしている私に突然の辞令が下った。
勤務校の校長からは「最先端のマネジメントを学ぶことができますよ」と送り出されたが、現実はそんなに甘くはなかった。早朝から深夜までの勤務、30Kg以上の玉ねぎ運び等、当たり前の土日、祝日、盆正月のフル勤務。よいことはひとつもなかった。挙句の果てには、ぎっくり腰で病院へ通う始末。以前、織田裕司主演の「県庁の星」という映画があった。県庁職員がスーパーのパートと共に倒産寸前のスーパーの救世主となるというストーリーであった。私が研修をしていたスーパーには、織田裕司の素敵なパートナーの柴崎コウはいなかった。やはり、フィクションと現実はこんなにもかけ離れているのかと落胆したことを記憶している。
同僚からは「八百屋さんがお似合いですよ」と言われたり、子どもたちからは「教員をクビになったの」と心配されたりする始末。
…"
公益財団法人勤労青少年躍進会 理事長賞
私が今の仕事を選んだ理由
泉いずみ
テーマ
私が今の仕事を選んだ理由
作品内容(一部抜粋)
" 彼が病気になったのは3番目の子が産まれて2カ月目のことだった。
外国人のような深い顔立ちにラクダのような大きな目、豊かな眉毛が特徴的で誰とでも気さくに話す人懐っこい性格の彼は営業マンとして忙しく働いていた。10代で就職し、人を笑わせることが好きで、仕事を楽しくこなし、だからこそエネルギッシュに働いた。努力は報われ30歳にならずして営業所の所長になることができた。しかし、責任の重圧は相当であったのだろう。いつからか表情の乏しい日が続いた。「変だ、変だ」と言いながら本人も私も何が変なのかわからないまま日は過ぎた。
ある朝、彼は仕事に行きたくないと布団の中で子どものように泣き出した。病院に行くとうつ病と診断された。産まれたばかりの長女、小学生の長男と次男、働けない夫、そして私。この先どうなるのだろうと平凡な主婦をしてきた私は不安が募った。私は仕事に就き、食事の準備、掃除、洗濯と日常をこなしながら、彼が何もできない自分を責めて壊れていく非日常を、オロオロしながら見続けた。
…"
中卒から働いて、仕事を通じて学んだ職業
後藤次郎
テーマ
仕事・職場・転職から学んだこと
作品内容(一部抜粋)
" 高校へ進学したかったが、担任に「早く働いてお母さんを楽にしてあげなさい」、母からは涙ながらに「頼むから働いて」と言われた。私は6歳の時に父が病死し、母子家庭で苦労している母の心情が分かっていたので何も言えなかった。
中学卒業後、大阪の鉄工所で工員として働いた。会社の寮で、朝6時に起こされ毎晩10時まで働いた。事務員は定時の5時に退社していた。工員の作業着は汗と油等で汚いが、事務員は清潔な制服を着用していた。寮長が事務長だったので「事務員になりたい」と相談した。「そろばんが出来るようになれば事務員になれる」と言ってくれた。
集団就職の時代、寮は20畳に20人の中卒者が寝起きしていた。私は朝5時に起きて、みんなが寝ている間にそろばんと漢字の書き取り練習をした。1年半後、そろばんが早くなったので、寮長に「事務員にしてほしい」とお願いすると、「高校卒でないと駄目だと専務が言った」と断られた。
…"
女性が安心して働ける社会を目ざして
藤井通子
テーマ
女性として頑張りたい仕事・働き方
作品内容(一部抜粋)
" 女性にとって、「子供を育てる」ということはそれぞれの人生にとって大きな責任を伴う素晴らしい仕事、子供の成長にとって「母親」という存在は、子供達の人生に最も重要な役割と影響を及ぼし、特に幼児期の過ごし方は人間形成における大きな礎となることはよく知られています。一方社会の急激な変化による生活の変容で、女性の社会進出の機会が多くなり共働きの家庭が多くなって来ました。少子化、若年層の働き手の人口減少、高齢化による要介護人口の増加により様々な社会現象が生じています。子育てと仕事の両立、ワークライフバランス等女性が活躍出来る社会について新聞やテレビで度々語られる言葉ですが現状は如何でしょうか。
私はかつて約50年前、アメリカの大学院に留学していた主人の元で、アメリカの女性達の子育てと仕事の両立の姿を実際に見、沢山のことを学ばせて頂きました。一昔前でありながら、すでに信頼に裏付けされた合理的な助けあいの支援活動が行なわれていました。
…"
公式ホームページ
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若者を考えるつどい
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