結果発表
2024/05/17 10:00

第18回 ダイワハウスコンペティション

主催:大和ハウス工業株式会社

応募作品数:237点
受賞作品数:7点(佳作を除く)

最優秀賞

余白と結構I
岩崎伸治、三枝理子
余白と結構I
作品コメント(一部抜粋)
住宅は、住み手にとって明らかだといえるだろうか。畳の日焼けに気づかず生きるわれわれは、冷蔵庫を衝動買いしないし、椅子の脚に小指をぶつけたりもする。住宅を完全に把握することはない。余白として提示された未知は何らかの方法で横滑りし、ある既知へと、爆発的に理解(誤解)される。この横滑り、(あるいは落下)こそ笑いに他ならない。家は笑うことができる。人間の想像力によって、真空が空気で満たされるような速度を伴い、余白は空間を結構する。家に遍在する余白が、認識の内側に空間を結び続けるさまを「家の笑」として定義し、これによって笑う建築の発生を目指す。本過程は、コード化されたイメージを引用し、それらを平面に投影した図群にて現される。「家の笑」は見る者の存在によって「笑う家」へと収束を指向する。これはすなわち、余白の構築と結構に他ならない。われわれは設計者として未知と対峙し、「笑う家」をひとつ提示する。
(プレゼンテーションより抜粋)
審査コメント
「笑い」を利用した設計手法は設計者間だけで語られるゲームになる不安があるが、注視できない周辺部を想像の中で拡張することを笑いと捉え、設計手法に還元した点は大いに評価できる。(青木 淳)

図面や模型から建築をつくる喜びが感じられる案である一方、視覚にやや頼りすぎだと感じた。五感のイマジネーションの展開を見たい。(堀部安嗣)

複雑なプレゼンテーションだったが、模型はプランを想像した際に書かれる周辺視をすべて書かないことで、設計の過程や思考が立ち上がり、想像の最中のような状態が表現されており非常に面白い。(平田晃久)

リアリティ以外のものを掬い上げる、笑いの性質を取り込んでいると感じた。どこに行き着くのか分からない不安を笑いが凌駕する提案。(小堀哲夫)

設計途中ということで、完成した建築に笑いがあるのが想像しずらいが、笑いの論理を掘り下げ、設計のプロセスに反映した提案は、素晴らしい。(八田哲男)

優秀賞

空中アトリエ
藤田博文
空中アトリエ
作品コメント
命を取らせない、飢えさせない、恥をかかせない、これが私のモットーだ。家が飛んで津波を避けるようにするなど、まず笑えない状態を何とかしようと思った。だがプレゼンテーションをしても説教くさい。今回のテーマが「笑う家」だった。このコンペの案を考えている中で、やはり笑いのある面白い物をつくらなければならないと思った。プロペラをたたむと家型になる家や、とげが刺さりそうで刺さらないスツールなどもそうだが、なにより空色の画用紙と食べられるかもしれない雲形のパステルを表現できてとてもよかった。3つのモットーだけでなく笑いのある物が必要なんだと思った。そのことを学ばせていただいて、とてもよかったと思う。
(プレゼンテーションより抜粋)
審査コメント
家が移動可能なシェルターをつくるという考えはひとつの生活スタイルを想像させ、建築のユートピアだともいえる。凝り固まった建築への考えや、つくり方を改めて見直すきっかけとなる提案だった。(青木)

この家には水回りや寝室などの提案がないので、課題文の「ひとつの家として必要な空間を提案する」ということに応えていない。(堀部)

プレゼンテーションや受け答えは、設計の要素やセオリーを飛び越えたもので虚をつかれた。それは、現代の建築の批評にもなり得ると感じた。(平田)

シンプルな模型やプレゼンテーションからは緻密に建築をつくることが重要な一方で、関係のないところへ飛躍する必要性を問う提案であった。(小堀)
朱傘と笑窪
森 聖雅
朱傘と笑窪
作品コメント
「家」とは暮らしの中で人と建築の間に育まれる記憶である。「笑い」とは、今と記憶の化学反応である。暮らしの中にさまざまな記憶と結びつく仕掛けをつくり、家を笑わせる。敷地は神奈川県藤沢市南部、都市近郊の住宅街である。相模湾の暖流によって夏は涼しく冬は暖かいが、敷地いっぱいに閉じたヴォリュームをもつ住宅街が広がる。都市からは秘密基地のような「私だけの外部空間」が失われた。そこで地面を掘り、大きな庭に小さな建築がある生活圏をつくり出す。朱傘屋根は日本建築が目指す自然と一体的な住まいの境地、庭屋一如の精神を表現する。常に不特定多数の目に晒された都市で過ごす記憶をフリとして、住まい手だけに開かれた笑窪の庭へと降りていく三段落ちの建築は、生活に落ち着きを与える。掘り起こされた土地の記憶に囲まれながら、やがて洞窟で暮らした遠い先祖の記憶にまで思いを馳せるかもしれない。
(プレゼンテーションより抜粋)
審査コメント
屋根の形状を「にやりと笑う」というような笑いの比喩としてデザインをしているが、見た人がそのように感じるかは疑問である。(青木)

完成度の高い提案で上品な笑いを表していると感じた。その一方で笑いがもつ秩序を裏切る暴力性もあるとよかった。(平田)

丁寧な設計は経験とデザインの作法の笑いだと感じた。大きな穴を掘ると、土や雨により周辺環境が変わる。そのような暴力性の中でポジティブに捉えることができるアイディアがあると、さらによかった。(小堀)

造形のバランスがよい。提案者自身が住んでみたいと思える素直な設計が見られ、屋根と窪みで笑いがストレートに表現されていた。(八田哲男)

入選、大和ハウス工業賞

あまのじゃくなエレメントたち
入江匠樹
あまのじゃくなエレメントたち
作品コメント
現代的な私たちは、いつの間にか家に感情をもたなくなっていた。人間の欲望の果てに何不自由ない機械のようにつくりかえられていく家。私たちは同じ日常を無意識的に繰り返している。笑う家とは「あまのじゃく」である。自分を見てほしいと、足を引っ掛けたり、落ち葉を集めたり、家の中に雨を降らせたりして私たちのさまざまな感情に触れることに快楽を覚えている。しかし、そんな家の振る舞いが、鬱陶しくも家に対して失っていた多様な感覚を思い起こさせてくれるのではないだろうか。ここでは私自身の経験に基づいた7つのエレメントをデザインし、形態を変化させながら、大学生5人のシェアハウスを計画する。
(プレゼンテーションより抜粋)

入選

みずから笑う
陽 林江
みずから笑う
作品コメント
水という自然要素は古来から私たちの生活と精神に関係していた。仏教の中でも、「水=欲」という考え方がある。人びとの欲が快適に満たされている都市社会では、日常生活の中で苦労した後のほっとする笑いが少なくなった。これに対して私がもう一度人と水の関係性を熟視したら、都市にいる人間が自ら笑えるのではないかと考えた。井戸から水を汲み上げる行動では、水を得るだけではなく、人はその過程で精神的なストレスを解消していくこともある。今回の提案では、井戸から水を取るような一見不便とされる行為を計画に取り入れることとした。人びとが水との営みを通して、ほっとする。
(プレゼンテーションより抜粋)
退かずの家に笑む
金子豪太、北野湧也
退かずの家に笑む
作品コメント
道路拡張に伴う立ち退きを拒否した一軒の家。その家を避けるように湾曲した道路。道路で隔たれた両岸に残る殺風景な三角地帯。一軒の空き家が生んだその不条理を人びとは嘲笑する。その狭小な三角地帯に鉄塔、小屋を施し、X状の橋を架け繋ぐ。次第にそこは子供たちや動植物の居場所へと還元され、誰もがその橋を渡り始める。看板建築である空き家は一部が外部化されることで子供たちのたまり場、町の新たな看板へと生まれ変わる。時を経て頭上に草木が茂り、緑のルーフが架かると大きなひとつの家のような風景が生まれる。もうこの家は嘲笑される家ではない。みなが集い、笑い合う家だ。
(プレゼンテーションより抜粋)
「にもかかわらず」の建築へ
益山直貴
「にもかかわらず」の建築へ
作品コメント
かつて物語の世界と現実の世界という異なる位相が混ざってしまったがゆえに数奇な人生を送ったドン・キホーテ。彼は異なる世界を繋ぐことのできる「変換機」を必要としていたのではないか。それが現代になってやっと実現する契機を得たのかもしれない。本提案では、「拡大・縮小」という時間的、空間的な断絶をもたらすと同時に、次なる何かへと接続をもたらす両極的で現代的な操作を試みる。そうして本来はまったく関係のなかった建築物がインテリアへと変換されていく。それは「ドン・キホーテ」がみせたユーモアの構造そのものであり、それを建築設計方法論として組み立てることでその可能性を探る。
(プレゼンテーションより抜粋)
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