結果発表
2020/05/15 10:00

第42回 公募「写真新世紀」

応募者数:1959名(組)
受賞作品数:7点(佳作を除く)
主催:キヤノン株式会社

グランプリ

蟻のような
中村智道
蟻のような
作品コメント
映像作品制作中に父親が死んだ。脳幹梗塞により全身麻痺になり、それからの4年間は闘病生活だったが、自身の制作の契約により、死の間際、多くのことができなかった。
その後、自分自身も、過労によって、肝機能障害、およびうつ病を発症、その他、多くの疾患を患い闘病生活を送った。
現在の自分が置かれた状況を、作品に起こすこと。これまで、アニメーション作家であったが、複合的に体を壊し、絵を描くことができないため、制作不能に。その構想を写真にして何らかの形で作品化しようとした。これは、複数の写真によってイメージされる、動かない映像作品である。
鉄の枠により、イメージを強固化する。
黒い服は、葬儀の服であるが、その様相は蟻のようだと思った。
審査コメント
この作品は、現実と非現実が絶え間なく入れ替わっています。作者の中村氏はまだ幼かったころ、遊びで蟻を捕まえて、その身体を半分にちぎってしまったとのこと。小さな子供がよくやってしまう残酷な行為です。そして今、父親が死の床にあるのを目の前にして、子供のころに殺してしまった蟻が感じていたに違いない無力感を、中村氏も同じように感じています。襲い来る強烈な無力感と不安。それこそが、この作品で表現したかったものです。湧き上がる悲しみはあまりにも大きく、身も心も押し潰されてしまいそうなほどです。病床にある父親の姿と死への過程が豊かな感受性によって記録されており、そこには同時に蟻との大きなコラージュができ上がっています。この素晴らしい手法によって、苦しくてせつない複雑な感情を鮮やかに浮かび上がらせています。(リネケ・ダイクストラ)

優秀賞

Dialogue
江口那津子
Dialogue
作品コメント
母がアルツハイマー型認知症と診断されてから 10年が経過しました
現在 私のことを娘だと認識できていません
言葉も理解できない 対話することができません
それは、娘としてとても悲しく
受け入れることができませんでした
幼少期 母と電車に乗って 祖父母の家によく行きました
その町を40年ぶりに歩いてみました
町はすべてが変わっていたわけではありませんでした
そこには その当時の建物がまだ残っていました
そして 幼少期のかすかな記憶が蘇ってきました
母のように いつか大切な記憶を失ってしまうのかもしれない
記憶を物理的に残すことができたらと考えました
そこで その町を写真に撮る という行為に至りました
幼少期に母と一緒に歩いた道を撮りながら
母と対話していることに気がつきました
審査コメント
高齢の母親に対する切なくも思いやりに満ちた作品です。昔のスナップショット、肖像写真、絵の断片、消えゆく記憶のごとく色褪せた画像を取り混ぜた構成。これらすべてを、モノクロからカラー、縮尺の変化、黄みがかったクリーム色の紙の後に続く薄皮のような半透明の紙材など、様々なプリントテクニックを巧みに用いて表現した結果、非常に完成度の高い、心動かされる写真集になりました。
写真はよく、カメラ技術、ハイテクのデジタルまたはフィルム・サイエンス、光学的手法などに依存する無機質な媒体であるように思われますが、そこにこのような作品が現れ、アーティストはこのテクノロジーを使って人生の飛行機雲の軌跡を描けるということを示してくれます。感性豊かな手と目が生み出すビジュアル・ポエトリーです。(ポール・グラハム)
Formerly Known As Photography
遠藤祐輔
Formerly Known As Photography
作品コメント
監視カメラ、スマートフォン、SNS、また、これら技術革新と相性の良い社会統制から、写真、特にストリートスナップは、二重の困難に直面している。まず、肖像権の問題。個人領域が瞬間的に拡散する恐れは増長し、街中での恣意的なカメラ操作は排斥すべき悪と見なされるようになった。次に、決定的瞬間についての疑問符。日常のすべてを高精細に記録できるようになった現在、写真家、カメラ(秒間60コマの4k動画であれば1/60秒という機能的制約)によって限定、選択された任意の一点は未だ価値を持つのか。それでも、写真にしかできないことはあると思っている。これはその希望的検証だ。
審査コメント
スナップショットの瞬間とその瞬間に至る前後を動画として並置したときに、両者はどのように響きあうのか? この愚直とも言える検証の態度に惹かれました。静止画をトランスペアレンシーと透過光によって再現することで、動画との表面上の見かけを整える配慮もされています。作者は未だ知らない何かに出会う可能性を、動画に表れる身体性に賭けているようです。静止画と動画、それぞれの輪郭を強引に削り出すような仕掛けは鑑賞者にどんな体験をもたらすでしょうか。ストリートスナップの困難さに対する考察からはじまるこの作品は、図らずも静止画と動画はシームレスな関係か?という興味深い問いを含んでいるようにも思います。(安村 崇)
background
幸田大地
background
作品コメント
本作品は、社会において人がモノや対象をどのように見ているのかということについて、また作品化による他者の保存という自身の継続的なテーマを扱っています。
「亡くなった母のポートレート撮影を継続したもの」としてまとめた作品は、上記二つの意図を同時に成立させるという試みによって最終的な形に至りました。
審査コメント
母親のポートレートを撮っていた作者は、母の死後、生前愛した植物をモチーフにして撮影を再開します。
タイポロジーのようでもあるけれど、標本的に撮るのではなく、生き物として主体化して撮っていることで生命を感じさせます。
尾形光琳の屏風絵からインスピレーションを受けたそうですが、白い背景を物理的に差し込んで撮影することで、遺影のように見えてきます。生と死の境目を曖昧にする、それがこの写真を前にした時、不思議な感覚へ誘います。寂しさ、悲しさ、いろんな感情が入り交る写真です。(瀧本幹也)
エリートなゴミ達へ
小林 寿
エリートなゴミ達へ
作品コメント
発表される当てもない写真、また写真集・展覧会に使用された写真が溜まり、塊となったそのモノの形が気になってね。
最初はそのイメージに愛着があると確信めいた言葉で済ましていたが、時が過ぎ暗室や自室には入る度そのうず高く積み上がったモノは日を増して迫り狂う。
これが現実だと。
困った末、その写真を色々なモノに貼り込みできたモノがこの作品です。
望むなら再度輝ける場所をと願うが、そのネガやプリントは私が写真を撮り発表する限り先送りになり放置されゴミのように積み上がり、いつしか私の気になるモノとして貼り込まれることを待つことだろう。

最後に、識者に良とされたことは少しの違和感が混じる喜びを感じております。
ありがとうございます。
審査コメント
この写真集は、彼が長年かけて収集・修正した独特かつ物理的な写真で構成されています。これらの写真は彼が捨てることができなかった過去からのオブジェたちです。
作者が「塊」と呼ぶこれらの写真集は物理的であり、モノクロのプリントのほかにポラロイドも収められています。あるページには絵の具が塗られ、彩色が施されていたり、何かに取り憑かれたように収集されたこれらのものはユニークなオブジェとして構成され、膨大な写真集に仕上げられています。写真の処理の仕方、写真集としてのまとめ上げ方、制作における小林氏の執念は、このコレクションに特別な力を付与しています。(サンドラ・フィリップス)
空を見ているものたち
田島 顯
空を見ているものたち
作品コメント
はじまりは、単なる好奇心でした。
天気がおかしくなり、大雨が降った時、大風が吹いた時、いつもより高い気温になった時、観測された場所とその数字が知らされます。
どんなところで、どんな機械で測っているのか。それを見てみたいと思いました。
気が付くと、機械の姿を追い求め、あちこち足を運んでいました。
山奥の村、最北の岬、週に二度だけ船が出る島々……目の前に次々現れたのは、多様な風景です。
探し歩いて写真に収めたものは、機械だけのはずでした。しかし、ずっと感じていたのは、この島国のあらゆる場所で営まれている、人々の暮らしの香りでした。
そして今も、人々の暮らしのすぐ側で、静かに空を見つめるものたちが居ます。
審査コメント
日本の北から南を旅して、気象観測機「アメダスの観測機器」を撮影したこの作品は、世界中の人々の関心事でもある「地球の環境問題」を想起させます。この測器は、地球の「プロテクター」、地球を守っているものともいえます。観測データを収集して気象を予測し、私たちに注意や警報を出してくれるからです。その存在はあまり知られることなく、ひっそりと行われています。
田島さんはサラリーマンとのことですが、ある意味「この測器」のような存在だと思います。社会を支える重要な存在だからです。社会をひっそりと支える田島さんが、私たちを守る「アメダスの観測機器」を記録した作品群。そのような意味からこの作品を選びました。(ユーリン・リー)
Sympathetic Resonance
?田多麻希
Sympathetic Resonance
作品コメント
「エネルギーとは何か?」の問いを課し様々な表現でその姿を捉えようと試みています。
今回生き物の姿を捉える際に、一部サーモグラフィカメラを利用しました。
熱を感知し画像を結ぶサーモグラフィーカメラが写し出す、行動や感情によって変化する熱の像から、普段私たちが目にしている姿とは違った様子で彼らの命を見ることができると考えたからです。そして、このプロジェクトでは、動の中の動、静の中の動、相反する被写体の息吹に注目し、そのサーモグラフィー利用して捉えた生き物の姿や光の作用を利用して作り出した空間、自然が起こす現象等を写真の特性の中で見つけ出し、この世界の面白さ、興味深さの表現を挑戦しています。
審査コメント
プリント作品を見た瞬間に言葉には言い表せない、野生的、野蛮な印象を受けました。写真が持つ世界を切り取るダイナミックな力強さがあり、そこに惹かれました。
また、映像にも動物の根源的な、自然の中で生き残っていくという力を感じ、この二つの表現が互いの要素を補い合いながらさらに力強い表現となっています。プリントと動画の関係が同じくらいの重要さを持っていると思うので、どちらかに偏らないように構成することが展示のカギになると思います。(椹木野衣)
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