第7回 長谷工 住まいのデザインコンペティション《学生限定》

募 集 終 了

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登録総数:752点、応募総数:333点
主催:長谷工コーポレーション

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最優秀賞

小ささの拡大表示
「小ささの拡大表示」

坂上優(芝浦工業大学大学院)

作品コンセプト

小さなものごとが集まって街を構成しているように、普段あまり気に留めない「小さな街っぽさ」を持つ「ガジェット」を集めて集合住宅を構成する。それら「ガジェット」は、自然にできた凸凹のように街の中では些細なものであったり、ゴミ出しのような日常生活と関わっていたりする。ひとつひとつは部分的でばらばらなものだが、それらを一筆書きのような建築断面に集めて組み合わせることで、パブリックなスケールとなり、小さな街っぽさは人と人、住宅と街との接点となる。この集合住宅は「小さな街っぽさ」が拡大表示され、小さな物事や出来事を包み込むことで、収束せず街に対して広がっていき,新たな生活の風景をつくりだしていく。

優秀賞

猫が空をながめるみたいに
「猫が空をながめるみたいに」

佐藤伸彦 花摘知祐(東京理科大学大学院)

作品コンセプト

街をいちばん楽しんでいるのは猫であると考え、猫の視点から考えられた集合住宅を提案する。この集合住宅は1R〜3LDKの住戸の各部屋を、1〜6階の塔として垂直に重ねることで構成され、ひとつの塔がひとつの住戸となる。このように構成することで住民は1階から屋上までの空間を獲得し、気分によって過ごす場所を選びながら暮らすことができる。それはまるで猫が塀に上って陽だまりを探すように、彷徨いながら心地よい居場所を探す暮らしとなる。1階の暗がりにカップルがいたり、3階の陽だまりで読書をしたり、公園とシームレスにつながる屋上でヨガをしたり。あらゆる風景が混在し、暮らしに多様な選択肢があることに「街っぽさ」を見出した。


どこかでみた、どこにもない街
「どこかでみた、どこにもない街」

門田晃明 吉田祐介 植地惇(関西大学大学院)

作品コンセプト

街には、道と街区がつくりだすさまざまな特徴的なグリッドがある。私たちは、異なる軸が混ざり合って多様な関係性を生み出すことが街っぽさをつくっているのではないかと考えた。そこで、建物単位の軸がつくる周辺の余地と隣家の関係に着目し、ゾーニングによってばらばらになっている街の余地をまとめて再構成する。そうすることで、隣家の関係から全体、さらには周辺の街まで広がっていく屋敷のような建築となる。自分の部屋の建具を開くと、余地を介して隣の家と繋がり、刻一刻と変化しながら街へと繋がっていく。そんなどこかで見たどこにもない街の提案。


“穴”がつくる街という建築
「“穴”がつくる街という建築」

塚越亮介 村山周平(早稲田大学大学院)

作品コンセプト

街を歩いている時、小道に入ると小さな“穴”の中に入っていくように感じる。またその“穴”はひとつの街ともうひとつの街を繋ぐどちらでもない場所である。街はそのようなどちらでもない場所によって途切れなく繋がっているものではないか。場所と場所、ものとものを結ぶ“穴”の中で生活することを考える。本計画では“穴”を場所と場所を繋ぐものとして捉え、敷地内部と外部環境を関係づける装置として設えた。コンクリートの“穴”は周りのスケールを考慮し、敷地の内側に行くにつれてスケールを小さくしていった。木造の“穴”は外部の機能や用途を考慮して人と人を繋ぐコミュニケーションの装置として設えた。これらの“穴”を通して様々な環境の中を横断していく。

佳作

彩られる空隙 —ちいさな生活から街をつくる—
「彩られる空隙 -ちいさな生活から街をつくる-」

差尾孝裕 元木智也(京都工芸繊維大学大学院)

作品コンセプト

過去には集合住宅は小さな街として自立しつつ、街とも上手に接続されていた。それは単純に建築のスケールの問題だけでなく、人々の暮らし方のスケールが細かく互いにリアクションし合っていたからである。街っぽさとはいわば、それらが集合することで生まれていた。本案では100戸の住戸に絡みつく路地・階段・踊り場という建築の空隙を拡大することで、ちいさな生活の行為やものの集積を、街へと表出させることを意図した。集合住宅において生活動線に過ぎなかった場所が生活の舞台へと変わり、住人たちの小さく、そして多様な住まい方で彩られていく。


複層する空間は「まち」を取り込み、「いえ」を滲み出す
「複層する空間は「まち」を取り込み、「いえ」を滲み出す」

岩田美加(東京電機大学)
坂本裕太(東京電機大学大学院)

作品コンセプト

複数の層状空間に、外側から内側へ向かって次第に、住まう人の年齢が高く、かつ世帯の人数が多くなる様に配し、中心にあるデイケア施設が様々な世代の住む層状空間を貫く構成とした。引き伸ばされたデイケア施設の共用部が何枚もの薄い層の重なりを貫くことによって、都市から人まで多様なスケールを敷地外から取り込み、反対に内部の活動を街へと連続的に見せる。層一枚一枚の開口の連続やずれが生む内と外の緩やかな繋がりは、内側の高齢者を街へ、また外側の若者を内部へと導き、各々の活動を流動的に混ぜる。多様な世代や所属の人がそこに集まっていても不自然に感じないような状態、そんな「まちっぽさ」をまとった集合住宅。


ふちに暮らし、街をまたぐ
「ふちに暮らし、街をまたぐ」

西田吉伸(大阪工業大学大学院)
相見良樹(大阪工業大学)

作品コンセプト

私たちは「さまざまな暮らしの縁(ふち)を跨いでいく楽しさ」があることを街っぽさと捉えた。街はさまざまなカテゴリーの機能や世帯が集まることで形成されており、そこから18の役割を抽出し、それぞれを帯状にまとめる。それぞれの小さな役割は、まとめたことで地域のインフラとなるような公共性が生まれ、集合住宅に住む人だけでなく周辺住民も利用できる街の大きな役割を担う。さらに、その帯を連ねてゾーニングすることで、住み手のプライバシーを明示しながらも、それを跨ぐことができる縁をつくる。縁を跨ぐことで、人と人が付かず離れず繋がり合える、共生関係のある暮らしを提案した。


ぱたぱたの表情 —扉×床が生み出す街のにぎわい—
「ぱたぱたの表情 —扉×床が生み出す街のにぎわい—」

福井大典 谷口 豪(神戸大学大学院)

神戸大学大学院

外壁の一部である「ぱたぱた」を壁や床に転用し、世帯や時代のニーズに合わせて床面積の増減を可能にする。交互に噛み合う「ぱたぱた」は住居者同士のコミュニケーションなしでは、繋げることができない。一方が扉を開けて床を張り、もう一方も床を張って初めて部屋が繋がる。「ぱたぱた」を用いることで、住人はさまざまな時間の尺度の中でフレキシブルに住空間を変えることができ、建築も変化し続けていく。「ぱたぱた」で住環境を繋ぐだけでなく、それが人同士の関係を繋ぐ架け橋となり、その活動が建築を媒体として溢れ出し、街っぽさをつくる。


フトコロモノガタリ
「フトコロモノガタリ」

徳永悠希 吉野真実(神戸大学大学院)
橋本阿季 袋井 咲(神戸大学)

作品コンセプト

街にはたくさんのヒト・モノ・コトから生まれたモノガタリを受け止める余白(フトコロ)がある。現在の集合住宅は個々で完結し、外部に対して閉じてしまっているのではないか。そこで、部屋と部屋の間の上下左右にフトコロを挿入する。フトコロは個々の部屋から溢れ出したモノガタリを受け入れ、街や住まい、そして人を繋いでいき、フトコロを介して空気や光を共有して暮らすことで、街の新たな関係性を生み出す。


7つの生活舞台
「7つの生活舞台」

新村 亮(早稲田大学大学院)

作品コンセプト

青信号になると皆が一斉に歩き出す、などの何気なく行う行動を演技として、街というものを集団ダンスの舞台であると捉えた 。このような都市におけるダンスをこの敷地に重ねる。そこで個の部屋における些細な行動を寄せ集めることで、日々の行為が外で重なり合い、演者となった住人達はその場を舞台へと変容させていく。100人分の身近な部屋が行為ごとにまとまり、拡張されることでそれぞれの場に「○○街っぽさ」が生まれるのではないか。公園に100人分のテラスを、銭湯付近には風呂場を、事務所付近には、書斎というふうにそれぞれ意図的に小さな部屋を散りばめた。


窓の坪庭
「窓の坪庭」

Simon Cheung(東京大学大学院)

作品コンセプト

木造密集地帯の重要な特徴は、住戸間の細い路地とたくさんの植物である。人々は植物を家の前に並べることを好み、外部との間に緩いレイヤーを形成し、家がよく見えるように飾る。そこで私は、そうした家の前の植物を含め、冬にサンルームとして使用できる新しい窓の形式を提案する。家の前に溢れていた植物は建物に取り込まれて「窓の坪庭」が形成され、内外の緩衝帯となり、窓を通して生活の一部が街路へと溢れ出る。窓空間は植物のみならず、住人の団欒の場や、洗濯物を干す場所としても機能し、住人の生活をさまざまな面で補います。この窓から各々の住人の多種多様な生活感が滲み出し、街っぽさのある集合住宅が生まれる。


街のような連続性と多様性をもった集合住宅
「街のような連続性と多様性をもった集合住宅」

吉沢彬成 中田有紀 戸田雄大(日本大学大学院)

作品コンセプト

「街」とは小さなスケールの集合体であり、その連続によって多様な場が生まれているのではないか。そんな「街」の構成を集合住宅に取り込み、さまざまな物や人との連続性によって生まれる、多様な場や空間を内包した「街っぽさのある集合住宅」を提案する。集合住宅に求められる機能を分解し、それを入れ籠状に再構築する事で、自分の住戸にしかアクセスできなかった集合住宅がいくつもの機能と関係を持ち、プライベートな空間がある一方で共用部はリビングや庭、仕事場など多様な場が生まれる。人と人が、人と住宅が、住宅と街が連続し多様な場を生む「街のような連続性と多様性をもった集合住宅」。


繋がるマチ、ファサードに住まう
「繋がるマチ、ファサードに住まう」

廣田竜介 上辻大喜(立命館大学)

作品コンセプト

住戸の本来のファサードの位置をセットバックさせることによって、残された内部に最小限の設備を残しつつ、溢れ出た既存の内部空間がファサードとして街路との関係性を持つ。以前の固定的なファサードとは対照的に、内部のアクティビティを映すファサードは無限に表情を変えて街と繋がる。また、外壁を内側へとセットバックされ、内部だった空間が外部となることで、限りあるスペースの中に物を置くのではなく、無限に続く外部空間上に物を配置し、自らの居場所を定義することとなる。今までの内部のアクティビティは外部へと放出され、周辺との関係を持つ。そしてアクティビティが連続した関係性を持つことで街が形成される。


50戸の住戸と50戸の番屋の集合住宅
「50戸の住戸と50戸の番屋の集合住宅」

塚本慎一郎(東京理科大学大学院)

作品コンセプト

「街っぽさ」とは街に住む人々と、目的を持って街へやって来た人々によるさまざまなコミュニティが生み出す残像のようなものである。日本の漁村には古くから「番屋」という漁師の住戸兼作業場であり人々の交流の場、旅人の宿泊の場でもある街っぽさを持った建築が数多くあった。番屋を集合住宅の住戸に隣接するように組み込む事で、住人や目的を持った人々、地域の人々が集い交流し、新しいコミュニティがつくられていく。さらに連続した庇空間を立体的に積み上げることにより外部と内部、住戸と番屋は緩やかに繋がり、開放的で集合住宅全体に界隈性をもたらす「街っぽさのある集合住宅」となる。


今日と過去を生きるいえ —記憶と蓄積—
「今日と過去を生きるいえ —記憶と蓄積—」

加藤聖也(早稲田大学大学院) 川村悠可(東京工業大学大学院)

作品コンセプト

街は人々のニーズに呼応しながら絶えず変化し、人・もの・交通が循環し動き続ける。そこで私たちは「街っぽさのある集合住宅」を「居住者のその時々のニーズに応えることで建築自体も変化し続けるもの」と定義し、ライフサイクルの変化に応じて増減改築が可能な「インフラ壁」を軸とした集合住宅を提案する。インフラ壁は増減改築の痕跡を残し、思い出を躯体に刻みながら変化を続ける。また各住戸のファサードに居住者の趣味や生活が溢れ出すことで、季節毎に移り変わるショーウインドのように、模様替え等の短いスパンの変化も街に反映される。このように長期/短期スパンの変化がファサードに反映され共有されることで、集号住宅は街っぽさを帯びてゆく。


減るという多様性
「減るという多様性」

忽那知輝 安福和弘(大阪大学)

作品コンセプト

街とはそもそも「そこに住み、そこに働き、そこに憩う」場所である。そのようにして暮らす街の当事者の多様性こそが、その街の過去を照らし、今を生かし、未来を豊かにしていくのではないだろうか。私たちは集合住宅に暮らす人々の多様性を「街っぽさ」と考えた。妻と平が互い違いになるように敷き詰められた50棟の家屋それぞれにワンルームのコアを設け、それを包むように二重、三重の壁を配置する。居住者が入れ替わる度に、入居者は外壁の一部を取り払うか決めることができ、私的空間は半私的空間に、そして、元のコアは公共空間に生まれ変わる。また、経年により、壁面の新旧混在による時間軸での多様性だけでなく、通路幅員や空地の配置などの空間の多様性が生じ、それらはこの集合住宅に暮らす人々の多様性をもたらす。