結果発表
2017/01/13 10:00

第6回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス がんと生きる、わたしの物語。─ 絵画・写真コンテスト ─

応募作品数:69点(絵画部門:33点/写真部門:36点)
主催:日本イーライリリー株式会社
絵画部門

最優秀賞

羊の思い・我が記録
藤井高志
羊の思い・我が記録
エッセイ(一部抜粋)
人生とはかくもドラマチックなものかと改めて思う。それが我が身に起こった。順を追って記してゆこう。

2012年3月末をもって36年間務めてきた地方公務員の職を定年まで2年残して退職した。美術教師の父の影響で、公募展への挑戦をきっかけに油絵を描き続けてきたが、仕事の時間を描くことに傾けたいという思いが抑えられなくなってきたこと、仕事の悩みが日常の気持ちを脅かし始めたことが理由であった。家内も中学校の音楽教師として働いてくれていたおかげで、わがままを通すことになった。我が世の春といった思いで、存分に絵を描く毎日であったが、旅の話となり、道内中札内への旅行も家内とお母さんとで行ったのだが、たまたまその泊まったところで飼われていた数匹の羊を絵にすることを目的に取材しておいた。

年も明けた2013年1月18日朝に突然の血痰、検査の結果は肺の癌であり、幾つもの転移が認められ第IV期とのことであった。自分と家族にとって命の限りを感じるショッキングな宣告であった。
写真部門

最優秀賞・一般投票賞

夜明けの賛美
児玉秀俊
夜明けの賛美
エッセイ(一部抜粋)
作品は、長野県諏訪湖畔から夜明け前の風景である。十六夜(いざよい)の月とそれに負けんばかりの星空が印象的でした。そして夜明けを迎え、正面の富士山のシルエットを美しく捉えることができました。

私は、約3年前に膵臓癌と診断されました。体の異変もなかったので、突然言われたその言葉に、耳を疑う程でした。あまりにも突然の言葉で気持ちが真っ暗になりました。

幸いなことに早期に発見できたので、手術ができましたが、進行性でしかない膵臓癌であるため、再発、転移もとても心配でした。そんな闇夜の世界でありましたが、自分の人生を振り返る時間ができ、自分をリセットできチャンスをもらった!と考えるようになりました。

闇夜の中でも周りをよく見ると美しく救われるものがたくさんあるのだ!

不安があるが、前向きにしていると必ずいいことがある!

そんな気持ちの転換があったので、闇から明への瞬間という写真を撮って見たいと思うようになりました。
絵画部門

優秀賞

雪片付け
髙橋憲悦
雪片付け
エッセイ(一部抜粋)
前夜から降り続いた雪が、今朝には大雪となっていました。でも、いつものことなので驚きはありません。

朝方、青空が広がり陽もさして来ました。町内の人たちが一斉に外に出て、雪片付けが始まりました。「おはようございます。また降ったね。」とか「大変だね。参ったよ。」とか「あ~腰が痛いよ。」とか口々に挨拶やら愚痴やら。でも、みんな笑顔なんです。賑やかに言葉を交わしながら、まるで雪片付けを楽しんでいるようです。

私も防寒衣を着こんで、玄関前や道路の雪をスノーダンプに山のように盛って近くの用水路に捨てに、何往復もしました。終わった時は汗びっしょりでした。道路や玄関前の雪だけでなく、屋根の雪までとなるとそれは大変な重労働です。でもみんなの顔は笑顔です。きっと、すぐそこに、この雪の下に春が来ているから、豪雪はあっても必ず春が来るから頑張れるんだと思いました。

私は今肝臓がんの治療を受けています。

写真部門

優秀賞

冬の幻想・樹氷の森
関 一
冬の幻想・樹氷の森
エッセイ(一部抜粋)
会社の写真部に入部して30年、その間10歳年上の写真部の先生(講師)に一貫して教わってきました。

年数回撮影会を行いその後勉強会と称しその時の作品を先生に講評して頂きます。

2013年5月の勉強会が終わって間もない頃、私は会社の定期健康診断で「胃大弯部病変疑い要精密検査」と言われ、大学病院で内視鏡検査を受けました。

結果は筋層まで達する進行胃癌。60歳で他界した父が食道癌の手術をしたのもその病院で、59歳で患った自分に宿命的なものを感じその病院に手術をお願いしました。

7月26日に6時間の腹腔鏡手術で幽門部を含む胃の2/3を摘出し77キロあった体重が63キロに減少。術後半月程で職場復帰し、ダンピング症状と貧血に苦しみながらも徐々に体力が回復してきた頃、私が行きたがっていた冬の上高地撮影旅行を2015年2月に実施すると写真部から連絡がありました。

絵画部門

一般投票賞

生を願う
豊田明日香
生を願う
エッセイ(一部抜粋)
私の母が乳癌を患ったのは大学生の時のことでした。母がある日ふと鏡をみて胸にへこみがあることに気づいたのです。父と小学生だった弟、私たち家族にとっては衝撃的なことでした。

手術をした日は暑い夏の日でした。私は待合室が耐えきれなくて病院の庭に出ました。そして大きな一本の木に安堵感を覚えて、祈る心でしばらくの間幹に手を当てていました。“母が必ず生きることができますように”と切実に願いました。また、こういう思いの人がこの場所にはたくさんいるのだなと思うとその人たちの家族も必ず助かるようにと願わずにはいられませんでした。切実だったので夏の熱気が暑いのか私の心が熱かったのかよく分からないくらいでした。

手術は成功しましたが、その後は治療の苦しみや鬱病を患うなど二次的な苦痛がありました。

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