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野村不動産アーバンネット株式会社 第4回「ありがとう、わたしの家」キャンペーン

  • 文芸・コピー・論文
  • 写真・フォトコン
応募作品数:209点
受賞作品数:9点
主催:野村不動産アーバンネット株式会社
※ここではグランプリ・準グランプリの4点をご紹介します

グランプリ

父の夢をつないで
武居ぱんだ
父の夢をつないで
作品内容(一部抜粋)
家を新築することが、父の長年の夢だった。

私が物心ついたときから、狭くて古い家に家族七人、肩を寄せ合って生きていた。
畳の下の床は傾き、歩くたびに家が揺れた。家中雨漏りがし、冬の隙間風が辛かった。

三人姉妹が思春期に差し掛かり自分の部屋が欲しいと言い出すと、父はボソッと言った。「そうだな。そろそろ建てるかぁ。」

家族の誰もが喜んだ。家族皆の願いを叶えようと、父は張り切った。三人娘には個室を、自分の趣味の絵画のためにアトリエを、大勢が集まれる居間を、長く住める家を父は望んだ。昭和50年代後半のことだった。

夢のために、切り詰めた生活が始まった。父は一馬力で家族7人を支えていた。今までも楽ではなかったが、生活はいっそう厳しくなった。食費を削り、電気や水道も節約した。高校は公立しか受けさせてもらえなかった。しかし、家の新築のためには、こんな生活も苦ではなかった。

平成元年、「ついに着工!」かと思われた。

準グランプリ

「ただいま」と言える幸せ
みや
「ただいま」と言える幸せ
作品内容(一部抜粋)
目の前は山、少し歩けば海、道路では猪やイタチが我が物顔で通行している。そんな田舎に、私はまだ小さいとき越してきた。

「お城みたい!」
窮屈な社宅暮らしが当たり前だった私たちきょうだいは、レンガ造りの大きな家を見上げて歓声をあげた。まだ若かった両親が築いたその家は、比喩ではなく私たち家族の本当のお城だった。

ずいぶん賑やかな家だったと思う。四つ上の姉、二つ上の兄、そして鼻ったれの私。
きょうだいは外で泥だらけになるまで遊んでは、家中を走り回り、家具や壁はすぐに汚れた。私たちがやんちゃをするたび、母は嘆き、父は怒ったが、それでも最後には五人分の笑い声が、広い家の隅々にまで届いた。

春は、母の作った弁当を持ってハイキングに出かけた。
山の中は、見たことのない花や昆虫で溢れていた。小麦粉で練った餌を垂らして、五人が一列に並び川で釣りをした。飽き性の私は、姉の膝で昼寝をしているのがほとんどだったという。
おかえりなさい
はなさかじいさん
おかえりなさい
作品内容(一部抜粋)
祖母が脳梗塞で倒れたのは、かれこれ12年前のこと。後遺症で右半分が動かし辛くなり、家の中では歩行器が、外では車椅子と介助者が必須の生活となった。

歌が好きで、お洒落で。着物を着て原付バイクにまたがり何処へでも出掛けていたのに、家にひきこもり、寝てばかりいるようになった。当然誰もが心配した。

祖父は、同居する三女・私の母が仕事をしている昼間、昼食の支度と後片付けという小さな家事を担うようになったが、それすら初めのうちは、なかなか受け入れられない様子だった。祖母よりも、もしかすれば誰よりも、祖母の身に起きた不幸に傷ついていたのかもしれない。

孫である私は離れて暮らしているが、時々三人の子を連れ帰省する。帰ると祖父母がよろこぶので、年々、帰る頻度は多くなる。

ある時いつもの様に帰省すると、「これ見てみ。」と、祖父が紙切れを手渡してきた。
見て驚いた! 領収書なのだが、桁が違う。
思い出は、押しピンの穴の数
ひまわり
思い出は、押しピンの穴の数
作品内容(一部抜粋)
「ここにもはっておぼえなきゃ!」

我が家にはたくさんの押しピンの穴の数がある。
娘が受験勉強のために単語や公式などを用紙に書き出し、いつでも見て覚えられるようにと、壁のあちらこちらに貼り付けたあとだ。

家のメンテナンスや景観を考慮すると、避けてほしかった気持ちもあるが、「合格」という文字に家族一丸となって突き進むには、大切な「家」に少し痛い思いをさせてしまった。

押しピンの穴の数がふえるたびに「家さん、ごめんね」といいながら、貼りつけていく娘。
公式や単語を覚える声だけが響く毎日。

時に親子喧嘩や受験のイライラをどこにも吐くことができず、壁にド~ンと手で当たることもあった。少し壁がへこんだところもある。さぞ、いたかったことであろう。

それなのに、家は、どんなに深く、どんなに無数に穴をあけられても、いつも私たち家族を温かく包んでくれた。